4ヶ月目

目を背ける

18:37

心に暗雲が立ち込めるきっかけは、いろいろとある。

仕事納めの今日も、ギリギリまで精一杯に沙子と仕事をした。気がつけばふたりのキッズ(まだ保育園と幼稚園)のお迎え時間。

「キッズのお迎えは?」

「今日はお母さんが迎えに行ってくれる」

実家に帰るのは明日かな、この時間から2人を連れてベビーカーだと大変だし。

「幸せな家族感」が伝わってくる。沙子からは伝わってくるのはいつだって幸せな家族感だ。彼女自身が放つものもそうだし、話の中や画面越しに、お父さんにお母さん、お姉さんも、その存在を彼女から感じる。

「それは助かるね、良かったね!」

友人として、一緒に仕事をする仲間として、いつだってそれを喜ばしく感じている。なのに、心には暗雲が立ち込めてくる。というか、少し息が苦しくなってきているのに気がつく。

「幸せな家族」を築いたと思っていたのに。憧れの存在である義父母と奏くんと、幸せな家族、を。

義父母の悲嘆は、想像なんてできない。無理。大切な大切な一人息子だったのだ。その悲嘆を埋めようだなんて思わない。ただ、一緒に食事する時間を喜んでくれるその姿だけを頼りに、私とスナフィだけで遊びに行き(奏くんがいた頃は無かったことだ)、一緒に食卓を囲む。最高に美味しいご馳走。近況報告、明るい声、笑顔。一片の涙もそこには流れない。だけども、喪った家族の事実は、常にそこにある。

「家族」の時は、辛く苦しい。

奏くん。本当にまじでもういやだ。なんでこんな思いをさせるんだ。泣いてばっかりだ。

今日は、苦しいというより、悲しい。寂しいというより、悲しい。

その不在を鮮明に感じられるほど、悲しみに包まれる。その最期の苦しみを想像しては、苦しみに支配される。

寂しさは、その底をずっと流れている。でもここは幸いにも、友人や家族が少しずつ薄めてくれている。

悲しさと、苦しさは、抱えて生きていくしかない。

20:43

親愛なるスナフィへ

あなたはいつだって

じっと私に寄り添って

今ここへと引き上げてくれる

小さなその身体で

この一日、またこの一日をと

そう重ねての、この今日に

あなたへの感謝がどれほどか

伝える言葉を、私は持たない

想い出ばかりの宿るこの家で

あなたなしで

どうやって今日までこれただろう

あなたなしで

そんなこと、想像すらも、できるはずがない

Love you always.

22:43

今日は、ただひたすらに、悲しい。もう写真を見たくない。これ以上、悲しみに溺れたくないんだ。こっちを見て微笑まないで。こっちを見ないで。

寂しさはまるで、空気のよう。いつだってここにある。そんなもの、もう意識を向ける必要だってない。空気なのだから。

悲しみ。どうしようもない、悲しみ。

自分が、閉じる方向に向かっていることを感じる。

たぶん、疲れている。仕事も、プレッシャーも、緊張も、責任も、初めても、背伸びも、はったりも、興奮も、アドレナリンも、やんなきゃも、楽しいも、2018年も、未来も、年も、家も。疲れている。ひとりにしてほしい。いや、でも、だめ、ひとりにしないで、お願いだから。

目を背ける日々。

写真は見たくない。ジャケットやコートを取りに入っても、隣にある奏くんのワードローブには体を向けない、見ない。奏くんの部屋には、入らない。その扉は閉まったままだ。

もうずっとずっとずっとずっと、ずっと、眠っていたい。でも、昨日みたいな「死んでなかったんだ」なんて夢は、もう一生見たくない。

猛烈な物欲が収まって、次に訪れた食欲も今や標準に戻り、と思ったら、次は鬱っぽくなってきた。でも、まだ大丈夫。でも、苦しさが重い。

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