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「ヒノキに殺される」
そう言って紀亜が乗り込んだバスは、重い体をバス停から離し、押されるように走り去った。その後ろ姿を見ていた。
Cafe NOL で私たちの作品展示をすることになり、紀亜は泊まりで設営に来ていた。のだけど、酷いヒノキアレルギーに苦しく眠れない夜を過ごし、設営の目処も立ち次第、急いで脱出したのだった。
バスの後ろ姿は、昨夜の回想の始まりだった。
夕飯時の会話に、紀亜が聞いた。
「淡路島はスナフィとふたりで行ったの?」
「スナフィと奏くんと」
すかさずそう答えると、あ、奏くんもいたね、的な言葉が返ってきた。
親族以外で唯一、病院に来たのは紀亜だった。あれは、緊急手術から二週が経ってもなお目の覚めない奏くんが、初めて呼びかけに反応を見せた日のことだった。親族以外が入ることが許されないICUを後にして、階段を降りる。一階のカフェで待つ彼女の姿が近づいてくる。「反応があったの…!」。溢れ出た喜びと涙を、受け止めてくれた紀亜。あの日のことは、今でも鮮やかに思い出せる。
それからの半年間、何度も泊りに来てくれて、山の麓にある自宅ログハウスにサナトリウムのように滞在させてもらった。共に時を過ごし、支え続けてくれた。
紀亜の言葉の波紋は、確かにあった。ただそれは感情の波ではなく、こうして時が過ぎていくのだ、と、ただ静かに教えてくれる紋様だった。
こうやって、時が過ぎる。
今日という1日は、ひとつの箱のようだ。彼のいた日々の箱。と、「今日」の箱。その間には、またひとつ、またひとつ、と、箱が挿入されていき、その間はどんどんと開いていく。そうしてあの日々は半年分、遠くなった。
その不在は、いつしか日常になる。
不在の向こうにあった「実在」は非日常となって、いつの日か、忘却の彼方となるのだろうか。
「スナフィとふたり」
「スナフィとふたり」が、日常。かもしれない。でも、私の中ではまだそうではないのだ。どう認識するか、どう捉えるか、であって、物質的事実とは異なるかもしれない。
その認識や捉え方さえも、それぞれのスピードと流れで、常に変化していく。