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水の張った田んぼの間を、若草の畦道が伸びる。白鷺が一羽降りてきて、すっくと立つ。窓の向こうに展開する春の姿に、しばし見惚れていた。
時は、それを捉える主体との関係性でその性質を変える。これほど長い「半年」があっただろうか。
じっと佇む白鷺は、何を見ているのだろう。
手元の本に視線を戻す。
The real voyage of discovery consists not in seeing new sights, but in looking with new eyes.
真の発見の旅は、新しい風景を見ることでなく、新しい目を持つことにある。
Marcel Proust / マルセル・プルースト
「青虫は一度溶けて蝶になる: 私・世界・人生のパラダイムシフト」を読んでいる。禅僧である藤田一照さんがソーシャルアーティストと文筆家と開いた学びの場、そこでの対話の記録が一冊の本となった「ワークブック」。
「悲嘆プロセス」とも言われる今の状況において、起こっていることや置かれた状況を捉えたいと、私はずっと願っている。
自らも捉えられない闇の中、光を求めて捧げる祈りでもある。
光が差して、そこにある物事が見えてくれば、それを捉えることができる(少なくとも捉える試みは出来る)。捉えられれば、次が見えてくる。それによって価値観が変わるのかもしれないし、行動が変わるのかもしれない。そうすれば、世界が変わる。日々が変わる。闇から、抜け出せる。
そう信じて、この本を手に取った。
「パラダイム」という言葉がある。「認識の基本的枠組み」と、本書の中で定義されるその言葉は、自身の人生を駆動するOS(オペレーティングシステム)とも例えられる。「どれだけ最新のアプリケーションを追加しても、これまでと同じOSならば劇的な変化は起りようがない」と、藤田一照さんは本書で語る。OSが、「認識の基本的枠組み」が変われば、「人生の質的変化」が起こるのだと。
本書のタイトルにもある「一度溶けて」の状態に、私はすでにある。「人生の質的変化」が、まだ奥深くではあるが、胎動を始めているのも感じている。
生きていくことが旅であるならば、そこにはまたいくつもの旅が内包される。今回の旅は、本書でいうところの、「インナー・ジャーニー」だ。「私」という、この宇宙でたったひとつのユニークな、絶対の主体である自己。「この自己、この生そのものを深く掘り下げていく縦方向の旅、(中略)深さの次元へ向かう旅」である。”Self Discovery” は「己事究明」と表せるのだと知った。単なる「自分探し」ではない。「己が生きている」ということそのものから学ぶのだ。
冒頭のマルセル・プルーストの言葉は、本書第一章の冒頭にあった言葉だが、彼の言葉にこういうものもあった。
We are healed of a suffering only by experiencing it to the full.
苦しみは、それを体験し切ってのみ、癒される。