24:24
泣けてしょうがない夜がある。
夜が明けるまで、悲しみに覆われたままで、眠ることなんてもう二度と出来ないんじゃないかと、こわくなる夜もある。
夕飯を食べて片付けに立ち上がると、目眩がした。疲れが最高潮に溜まっている。早々に引き上げて、21時にはベッドで本を読んでいた。24時を過ぎ眠ろうとしても、”Stay Gold” が頭から抜けない。もうすぐ奏くんの誕生日だ。正直、苦しい。
昨日は、「前を向いて生きていこう」なんて思っていたのに。今夜は、圧倒的な喪失感に呆然とただ泣くしかない。それでも、夜は明けて朝が来る。また違う1日を始められることを、もう分かっている。大きな波に翻弄される小舟のように、感情の波にひたすらに揺さぶられながら、日々を重ねるしかない。
これは記念日反応だ。それももう分かっている。もうすぐ、月命日のその時間がやってくる。
これだけの日々を重ねてもなお、「信じられない」って言葉が未だ浮かんでくる。それは感情を伴わずに、ぽかり呆然と浮かぶ。信じる以外無いことは、十二分に分かっている。だけど、8ヶ月目に入る今日もぼかりとそれは浮かんでくる。「信じられない」。
夜は辛い。夜は苦しい。
誰か助けて。言葉にも声にもならないそれは、波動みたいなやつになって全身でそう叫んでいる。出口の無い叫びは溜まる一方だ。
誰にも助けを求められない。泣きながら電話とか、そんなこと出来ない。悲しい、苦しい、辛い。その声を聞くのは、辛過ぎる。
自分で何とかするしかない。おなかいたくなりそうだ。
…結末もストーリーも、すべてわかっている映画を見るとか?
ダメージの深さに、半年が経ち、ようやく気がつく。
仕事をするため、生活するため、生きるため。
ある種の鈍感さが、必要だったのだ。
見たくないことがある。感じたくないことがある。
それに必要な強さは、まだ、ない。
だけれども、「出来ない」という認識は出来ているんだ。そこまで来たんだ。