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特急わかしお号で東京駅に向かう。田園から都会へと、風景が流れていく。
昨日のコーチングセッションを思い出していた。
聞くプロであるコーチとの対話では、思わぬ発見が多い。今回の発見は、シャットアウトしているものが「多い」ということだった。「多い」とはコーチの言葉で、自己認識とはギャップがあった。自分的には「日常で通らないように気をつけている、危ないところはあれとかこれとかかな」くらいの認識だった。でも、違った。確かに、振り返れば、毎日とても気をつけながら過ごしている。小さな歯と爪だけが武器の小動物の気分だ。
例えばニュース。これは見ない。その性質から死が扱われることが多く、その死を嘆き悲しんでいる誰かに想いが及んでしまい、こちらが崩壊しそうになる。
例えば物語。歌詞のある音楽、映画、そして小説。パートナーとの愛や、それに纏わる様々な感情が織り込まれていることが多いから、決して触れないようにしている。映画や小説は手を出さなければ良いのだけれど、音楽は不意にやって来る。ふと入ったお店や街中で突然始まる、ドラマチックに歌い上げる会えない苦しさ、届かない想い。不意打ちに合わないよう、今やヘッドホンは欠かせないアイテムだ。
「パートナーとの愛と死」を避けている、と言えるかもしれない。すでに溢れんばかり、いや、溢れるほどに、ここにあるのだ。そう括れば、SNSや友人との会話も回避対象に入ってくる。伏し目がちに歩くようになったのは、仲の良さそうなカップルを見るのが苦しいからだ。なるほど、コーチが「多い」という訳だ。
わかしおが地下に入って、車窓にぼんやりした顔が映る。哀しい目が合ったから、急いで逸らして身支度を始めた。