7ヶ月目

誰かがここにいてくれたなら?

17:47

毎日、そして今も変わらずに、あなたを想う
毎日、どんな瞬間にも、いつだって
仕事に集中してる時間があっても、
帰るのは、あなたを想う、この場所に

21:07

誰かに頼りたい。
果たして、「頼る」という言葉はこの気持ちを表せているのだろうか。

誰かがここにいてくれたなら?手元のiPhoneを見つめる。

そこにはきっと、今を一生懸命に生きる、強い私が姿を現すだろう。いかに受け入れていて、いかに前を向いていて、いかに感謝していて。

「いつも事後報告だよね」。昔からそう言われてきた。母の言うように、悲しいとか辛いとか苦しいとか、感情をそのまま出すことは、確かに無いかもしれない。

それに、「分かったような言葉」を、聞きたくないのだ。もう散々、溺れそうになりながら、数多の感情や思考を経てきた。「分かったような言葉」を聞いて、自分が閉じてしまうのが嫌なんだ。いのちの電話でも、検討違いなことを言われて嫌になってしまった。
もっとも安全なのは父だ。父は決してそのような言葉を口にしない。とは言え、父にだって、こちらの感情を丸出しにすることは決してない。そういうものだ。これまでも、これからも。

相手が話を始めれば、精一杯に意識と気持ちを向けるだろう。けれども、向こう側にある幸せを素直に受け取れない自分を感じるのだって、とても嫌で苦しいことだ。

だから結局、ひとりで耐える。ひとりで抱える。苦しみや辛さを吐露することは、…やっぱりこわくてできない。

「だからこそ書けるものがある」。その母の言葉を信じたい。これが何になるとかはさっぱりだけれど、何かの区切りを付けたい、昇華させたい。でないと、前に進めない気がしているんだ。いや、やらずとも前には進むだろう。でもきっと、長い時間がかかるのだろうと思う。

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今年最初の、蛙の鳴き声がした。

散歩中に見たたくさんのつくしを思い出す。
春がやってくる。

一時も止まることなく巡りゆく季節に暮らしている。今年もまた、道端の雑草が次々に小さな花を咲かす。その生命力に、時の流れに、戸惑い、涙する。だけども、それがあることは、ただ、それがあることだけで、尊いと思う。

奏くん。未だに、この現実との乖離に、目の前がぐらつくよ。100%理解しているのに、100%受け入れているはずなのに、現実と、その事実とが、やっぱり噛み合わない。

なんのために、生きているのだろう
生きる意味とか、なんなのだろう

夜というものはおそろしい。
それに、飲むとやはり崩れる気がする。でも、回り続ける頭を止める良い方法とも言える。

どうしたら少し、楽になるのかな。
電話の向こうに、誰かいたらいいの?
わかんない、でも、そうではない気もしている。

睡眠導入剤とか飲んで眠れたらいいのに。

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