17:21
She is my angel.
エリザベス・キューブラー・ロスとデーヴィッド・ケスラー共著の「永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書」を読む。「天使」の項を読みながら、頭の中にはずっと、茉奈のことが浮かんでいた。
どうしようもない時、悲嘆に暮れて、どこまでも落ちていきそうなとき、茉奈は、いつだって側にいてくれている。
どんな人にも、たがいに与えあうという天使的な瞬間がある。それはただの親切な行為のようにみえ、それほどおおげさなことだとは思われていないが、じつは他者の悲しみを癒すことでその人のいのちを救っている行為だったのだ。
天使とは日常のなかにあらわれる非日常のことである。
「永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書」エリザベス・キューブラー・ロス、デーヴィッド・ケスラー著
そうだよね、奏くん。だからこそ、奏くんの最期の時期に茉奈は立ち会うことができたんだ。
22:27
時折、このまま今の家に住み続けるのか、と、迷いが浮かぶ。
大抵は、「住み続ける。まずはこの年が終わるまでは。」と、続くのだけれど、この家にひとり(とスナフィ)でいるということ自体が辛くて仕方なくなって、また迷い始める。
でも、今は、「大きな決断は行わない」。
今はまだいい。決めることは、まだしなくていい。
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私は生かされている。
「生きる」ということが、こんなにも危うく、指先からすり抜けていってしまうようなものだなんて、本当に知らなかった。
23:13
表参道駅から東京駅で外房線に乗り換え、大網に着く。駐車場に停めておいた車に乗り換え、スナフィがひとり待つ家へと急ぐ。煌びやかで雑多で忙しい都会の残像が、田畑広がる真っ暗な田舎道に溶けていく。運転しながら、奏くんのことを思い出していた。
こうやって私が車で帰ってきたときは(10回もないけれど)、いつだって、車の音を聞きつけて玄関まで迎え出てくれたよね。時にはドアから顔を出して、時にはドア横のガラス窓に顔をつけて、超がつく笑顔で、それはもう嬉しそうに、私を迎えてくれた。
本当に、家族愛に溢れた人だったよね。私はそんな人と一緒に暮らせて、幸せだったよ。
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家のお掃除を、外注することにした。
今は手放せることを手放す。それが大事だし、必要だ。
今日初めてお掃除に来てくれたYさん。驚いたことに、友人の友人だった。
Yさんは(元はと言えば奏くんの20年来の友人)Sちゃんのボディーボード仲間。彼女の最寄りの海岸は、奏くんが8月1日、最後に波乗りをしたと思われるところだ。
7日のパドルアウトセレモニーのことも、YさんはSちゃんのタイムラインを見て知っていた。そこで見ていた「亡くなったSちゃんの友人のサーファー」のお家にと驚き、涙してくれた。
奏くんに手を合わせてくれるその後ろ姿を見ながら、このご縁を、もはや不思議でもなく、そういうものだよね、と、自然と思った。