12:00
大型の台風が来ている。高速で動くワイパーすら少し心もとない。打ち付ける雨で視界は悪く、周囲の車に合わせ、速度を落として運転する。明朝には都内で大事な打ち合わせがあるというのに、外房線は明日始発から運休がすでに発表されていた。義父母宅に急遽泊まることになり、暴風域に入る前にとお昼過ぎには車で出発した。
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今朝は、一〇時からコーチングがあった。
コーチとの対話を通して、奏くんへの想いを知ることができた。愛している。尊敬している。感謝している。大切なことをたくさん教えてくれて、側にいて支えてくれて、本当にありがとう。かっこよくて、面白くて、自慢のダンナだと思っている。そして、そう思っているのだと、わかってもらいたかった、知っててもらいたかった。
言動では伝えられていなかったと思う。こうなってみてはじめて、それは言葉になった。情けないけれど…。だから今、心からそう思っていることを、ただ、知ってもらいたい。この世とは別のところで、奏くんに、愛に包まれていてほしいんだ。
その後コーチは「後悔していること」を出し切らせてくれた。これはとても良かったと思う。変な形で残っちゃうのは避けたいから。
23:03
奏くんの部屋だったその空間でシャツにアイロンをかける。姻族関係終了届の存在を、思い出す。
配偶者を亡くした夫婦のどちらかが、配偶者の両親や祖父母といった血族との関係を終了させるその届け出の存在は、司法書士の叔母に聞いていた。提出をすれば、義父母の扶養義務などがなくなる。提出したからと言って、姓や戸籍が変わるわけでも遺産相続に影響が出るわけでもない。提出に期限があるわけでもない。ひとえに遺された者ひとりの意志決定に委ねられており、つまりは、私がそう決めたらそのときに、ということだ。
時間の経過とともに、関係も想いも考えも位置付けも見方も、すべてが変わっていく。今この時にだって。
同じでは、もういられないんだ。
その言葉は自分に返ってきて、また苦しくなる。
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「私情をあまり出すものではない、と教育されてきたから」
コーチングで後悔を吐き出し受け入れてもらった、と夕飯の席で話すと、義母がそう言った。こういうことで次に進めるようになると考えている、と私は付け加えた。「自分たちとは違うな」と思ったのかもしれない。話題は変わっていた。
今思えば、この点においては奏くんとも違いがあったかもしれない。私情というか、感情を、彼もそこまで出さなかったし、そういう価値観だったように思う。このご両親に育てられたから、もあるだろうし、時代や世代もあるかもしれない。年齢差は11。世代が違う。
義母は、息子の死について、近い友達にも話していない。「とてもとても心配させてしまい、いろいろしてくれるだろうから」。落ち着いたら話す、自然に聞かれたら、とも。そんな義母を「どこかで崩れてしまわないか」と義父が心配している。
良い悪いではまったくない。そこにはただ、様々な処し方がある。
私は、振り返ってみれば、家族や友人の助けに甘えている。死別についても、仕事まわりでは必要に応じて、あとは、自然にそのタイミングがきたときに、伝えている。差し伸べられる思いやりや助けには、素直に甘えて、頂いてきている。
そこにある時代の価値観。各世代の思考や行動に影響する、その時々の社会の価値観。そしてそこに基づく教育。いまここにある違いを、そのままの姿で理解したいと思う。そうすることで、より良い、深い関係が築けるんじゃないかと思いながら。
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昨日今日で、自分の変化を感じている。
音楽が、聴けた。義父母宅への道中を運転しながら、Backstreet Boys と Westlife を数曲。奏くんに出会う前に聞いていた曲は、歌詞の意味や感情をまるごとスルーして、聴いていた当時の「その感じ」だけを純粋に感じさせてくれる。
そして、今日はじめて、奏くんの黒T以外を着よう、と思えた。そうしなきゃ、ではなく、そうしよう、と、自然に手が伸びたのは赤いワンピースだった。
ごはんも、お腹いっぱいだ、というところまで食べた。
空腹と食欲。服、髪型、着るもの。そして、限られてはいるけど、音楽。興味関心が、少しずつ戻ってきている。
少しずつ、変化がある。