1ヶ月目

「ガラス越しに消えた夏」/京都へ

6:51

真夜中に目が覚めた。

奏くんが良く歌っていた曲が流れている。

寝ぼけた頭では、事態が掴めない。

暗い部屋。見上げている天井。一体どこから流れているのか。体を起こして、辺りを見回す。

隣のベッドでは義母が眠っていて、そのベッドサイドにはラジオが置かれている。あぁ、と理解して、ベッドに体を横たえた。天井を再び見つめる。

長いこと奏くんの部屋だったここで今、鈴木雅之の「ガラス越しに消えた夏」が流れている。体が強張って固まっている。意識はすっかり覚めてしまった。

歌も上手くて声も良くて、グルーヴ感に長けた奏くん。自宅カラオケでこの曲を歌っていた姿と、その歌声が重なる。これはいつの記憶だろう。

手を伸ばして時計を見ると二時過ぎだった。ラジオの鈴木雅之特集は続いていく。奏くんとデュエットもした「ロンリーチャップリン」。大好きで良く聴いた名曲「夢で逢えたら」。

流れる曲に想起され、浮かんではまた消えて行く記憶たちを、呆然としたままに、眺めるではなく眺めていた。暗い天井を見上げるだけの、強張って動かなくなった身体の中で。

15:00

新幹線の窓はまるで曇りガラス。外はすごい雨なのだろう。「雨の新幹線もいいじゃないか」。義父の声が反芻する。「奏の代わりに」と、今日も駅まで送ってくれた。柔らかで温かい、優しく響く義父の声。胸元には苦しさがずっといる。バラバラになったみたいだ。

車窓に流れる色を眺めながら、昨夜の食卓での義父母との会話を思い出していた。

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「あの大きな家を、これからどうしようかと思っていて」。ふたりで暮らしていた家は、生活の場でもあり、フリーランサーふたりのそれぞれの職場でもあることから、部屋数は多い。ひとり(とスナフィー)になった今、それが重かった。「過去より未来だ」。お肉にナイフを入れながら、義父が優しく言った。

食後のコーヒーを飲みながら、義母に「遺骨ダイヤモンド」の話をしていた。ダイアモンドは炭素原子が年月をかけて高温高圧に晒されることで出来上がる。人間の体も二〇%弱の炭素で成り立っており、火葬後の遺骨や遺灰に含まれる炭素を抽出し、その炭素に人工的な高温高圧をかけることで、世界でたったひとつの「遺骨ダイアモンド」が出来上がる。仕上がりは故人の遺骨に含まれる成分によって自然な青みがかかったダイアモンドとなり、硬度や輝きは天然と全く同じらしい。

にこやかに頷きながら聞いていた義母は、話がひと段落すると口を開いた。

「執着はしないで、どんどん前へ進んでちょうだい。過去より未来。いろんな人と出会って、世界をどんどん広げていってね。新しい未来をね。たとえ私たちが、『おじさん』『おばさん』になっても」

彼らの涙を、まだ見たことがなかった。

真夜中のあの病院でも、自宅でのお別れでも、葬儀でも、火葬でも。一人息子が荼毘に付されたその想像を絶するその夜に、彼らふたりは「今日は本当にありがとう」と感謝を示し、「奏に」と、いつもと同じ笑顔に明るい声で乾杯をした。

どうしてそんな風に強くというか、しなやかにというか…。もうなんと表現して良いのか分からないから、ただ私の感嘆を伝えて、なぜそれが可能なのかと聞いた。義母が答えてくれたのは、要約するとこういうことだった。

  • 起きていることを一〇〇パーセント受け入れる、それしかない
  • 生きることも死ぬことも、自然であって特別ではない
  • 奏が倒れたあの日に、零ちゃんが力を尽くしてくれたからかもしれない
  • 息子を亡くしたけれど、家族が増えたような気もしている(私や私の弟妹)
  • 遺された私たちが健康でいなければ。奏もそれが一番だと思う

そして義母は笑顔で言った。

「奏は零ちゃんの側にいる気がしているの、あの家で」

それに、と、付け足す。

「零ちゃんに奏を感じているの」

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未明に流れたあの曲、あの時間は、何だったのだろう。

ラジオからあの曲が流れた。ただそれだけのことにすぎない。鈴木雅之特集のラジオ番組は特別なことではないだろう。

でも、私はそこに留まらない。留まれない。そこに意味を見出そうとしてしまう。

奏くんの部屋で、奏くんが良く歌っていたあの曲で目が覚める。夜の真ん中で、一気に覚醒した頭と強張って動かない体で呆然とただあの天井を見つめていた。

あの甘い歌声が大好きだった。あのグルーブ感のある身体が大好きだった。楽しそうに声を弾ませてあの曲を歌うあの姿が、大好きだった。

音楽を耳にすることを、あの日からずっと避けてきた。瞬時に崩れ落ちるのを恐れていた。その地雷は、どこにどんなかたちで埋まっているかわからない。まさかあんなかたちで、一番大きなものが、しかも降ってくるだなんて。

でも、崩れ落ちることはなかった。雷に打たれたように、金縛りにあったように、流れる涙も浮かぶ言葉もなく、ただただ打たれていた。知らなかった何かに、私の身体が変化してしまったようだった。

義母の言うように、起きていることを一〇〇パーセント受け入れるしかない。それ以外にはない。無い。ないんだ。義母から学ぶんだ、日々実践するんだ。奏くんがそうして育っていったように、義母のその姿勢をから学んで実践していくんだ。

新幹線はトンネルに入った。不意に車窓に映った自分の顔。ずいぶんと厳しい顔をしている。

奏くん、あなたはいま、どこにいるの?

どこかにいるの?

大好きだった。愛してた。一〇年間ずっと。今でもそうだよ。

だから、バラバラになりそうに辛いよ。

奏くんの友人たちから、付き合う前に彼らに相談していたことを初めて聞いた。義父母からは、入院中の奏くんが看護師さんに「零は自分にはもったいない」と話していたと聞いた。彼の想いを、今になって知る。

あの日、もっと抱きしめたり、もっとキスしたり、思うままに、すれば良かった。

奏くん。私おかしくなりそうだよ。私こんなに困っているよ。なんでなんとかしてくれないの。

あれだけ激しく降っていた雨はやんでいた。

最期の日を思い出す。

ずっと握っていた奏くんの手。少ししぼんだのだろうか、いつもより小さく感じた。大好きでいつも触っていたあの二の腕。なのに、思い出されるのはその二の腕下のゆるい温かさ。顔が冷たくなったあとも、その下に差し込んだ手に感じていた、あの残された温かさ。それに、脚。すぐにずり下がってきてしまう体躯をその都度なんとか上にずり上げて、脚を持ち上げ布団を下に差し入れたときの、あの重さ、あの感触。

奏くん、本当に大好きだったよ。

私は生きていく。これを抱えながら、眠りも浅く食欲もない厳しい日々だけど、私は生きていく。

22:06

京都出張の話が出たとき、まず思ったのは「先生の鍼を受けられる」だった。新幹線が京都に着く。その足で地下鉄へと乗り継いで、先生の鍼灸院に直行した。

脈を診るなり先生が静かに言った。

「スタミナが切れている。いつからこの状態?何があったの?」

かいつまんでここ二ヶ月の話をした。

「痛いっ」痛みには強いはずが、思わず声が出てしまった。聞けば「ものすごく疲れている」ときのツボ。なるほど。眉毛も痛い。「眉や眉間に力が入っている」と言われ、新幹線の車窓に映った厳しい顔を思い出した。「血流が回っていないし、肝がうまく機能していない。それを補うためお腹も弱っている」状態であることを知る。

二時間の施術のあとは、先生に術後食として勧められた京うどんをそのまま食べに行った。

体がふわふわして、穏やかだ。身体が緊張していないのがわかる。この状態は、久しくなかった。同じく鍼を受けた顔も、むくみも緊張も取れずいぶんとほっそりとした。しかし。さすがに痩せすぎたかもしれない。が、今は仕方がない。先生がカロリーメイトを勧めてくれた。こういう時に、完全食として良いらしい。うまく補っていこう。

このタイミングで京都出張になり先生の鍼が受けられるなんて運が良い。この穏やかな身体のまま眠りにつくのが良さそうだ。

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