七月のこと
出張や外出が続いていた。いつものように、この日も奏くんが駅まで送ってくれていた。
「九十九里でスケーターが作ってるっていうピーナツバターだけどさ、」
駅へ向かう道を運転しながら話し始めた。そうだ、この前も「気になってる」と話してたな。そのストーリーやこだわり、熱いプレゼンは続く。私が前回の出張に行っている間に、ずいぶんと詳しくなっている。
「へー、そうなんだー」。話を聞きながら、手元のiPhoneでたびたび時間を確認する。一時間に一本の特急。遅れられない。相槌を打ちながらも、頭ではこの後の仕事の段取りを考えていた。
「やっぱり食べてみたいよね」
奏くんのその言葉に、顔を上げてその横顔を見た。ピーナツバターを想像しているんだろう、穏やかに、にこやかに、ハンドルを握って、前を見ている。運転の上手い奏くんの、運転中の横顔が好きだ。
七月の青々とした稲穂が、青い空と白い雲が、車窓を流れていった。
9:00
ピーナツバターを食べさせてあげたい。昨夜から泊まりで来てくれていた弟、隆(たかし)の運転で、九十九里のスーパーへと向かった。曇り空の下、稲刈りが終わった九月の田んぼが流れる車窓に、あの横顔を見ていた。
スーパーに陳列されていた Happy Nuts Day のピーナツバター(粒あり)を、ほぼ買い占めた。奏くんの棺に、入れてあげるんだ。友人たちへの連絡から受付までを一手に引き受けてくれた彼の友人たちや義父母や親族で、代わりに、このピーナツバターを食べられたら。
11:15
友人の梨衣(りえ)ちゃんから電話。
毎日考えてくれていた。毎日心配していてくれた。残酷なその体験が待っていること。
「でも、それがないと、前に進めないから。区切りがつけられないから。本当はそんなこと体験させたくなかった」
ものすごく心に響いて、ものすごく泣いた。
青からはお花が届いて、また泣いた。
14:00
目黒に向かう。新品の正喪服(洋服)に身を包んで。四十九日、一周忌、三回忌、七回忌。これからも正喪服が確実に必要になるからと、自分でなのか人に言われてなのかはもう忘れたけれど、昨日買い揃えた。
お通夜はしないことにした。けれど、葬儀前日(今日)に故人と対面ができる(が読経などはない)「面会の時間」を設けさせてもらった。平日正午過ぎの葬儀参列が難しい人もいるだろうから。
「面会の時間」は17時開始だった。時間の余裕をたっぷり持って駐車場に着く。隣に停まっている車の窓が開いている。運転席の人と、目が合った。「新(しん)くん!」奏くんのサンディエゴ時代の友人だ。ずいぶんと前からここにいるらしい。素直で明るくて、人懐っこい姿はそのままに、沈痛なものが痛いほどに伝わってくる。この時間、どんな思いの中にいたのだろう。
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式場となる客殿の開き戸は開いていた。正面には、波を模した青い花々で飾られた祭壇。その真ん中で、奏くんが、奏くんの遺影が、こちらを見て微笑んでいた。
まるで、奏くんの「葬儀」じゃないか。
時空が歪んで吐くかと思った。
17時から17時40分。水曜日。たくさんの人が会いに来てくれた。
新くんが、開き戸の手前に立ちすくみ、じっと祭壇を見つめていた。対面する人々の切れ間に棺に向かい、しばらくそこにいる。何度も、何度も、繰り返していた。フェイスタオルを握りしめて。
いろんな人と会って、いろんな言葉を交わしたはずなのに、その記憶はまるで写真を見ているように、断片的にしか残っていない。