病院での1ヶ月

大切な記憶を共有していることの尊さ

6:44

奏くんの病室は、いつも同じ匂いがする。何の匂いなのかは分からない。

5時過ぎに目が覚めて、スナフィの散歩をして、シャワーをして身支度をする。

ふっと、奏くんのその匂いがした気がした。家にいるのに。

スナフィにご飯をあげて、たっぷりの余裕を持って、電車の時間35分前に車で家を出る。

8:46

特急わかしおで東京に向かう。無事に乗れた。やるべきことをすべてやって。

やればできるじゃん。

今までいかに奏くんに甘えてたのかと、ひとり恥ずかしくなる。

18:30

今日はよく仕事をした。仕事復帰だ。

東京駅。丸ノ内線を降りて、京葉線ホームに向かう通路を歩く。声が聞きたい。声が聞きたい。声が聞きたい。この時間なら、ご両親が病室にいるかもしれない。お義父さんに電話をする。コール2回、3回、4回、お義父さんが出る。挨拶をして早々に「奏くんどうですか?」と聞く。「良いよ」。先生がいらして、「自力でトイレに行きたい」という会話をしたこと、そして透析が本当に疲れて辛いようだ、と。奏くんの声が聞きたい。でも、言い出せず、「あとでまた電話をするから」に「わかりました、ありがとうございます」と、電話を切った。

声が聞きたい。奏くんの声が聞きたい。自分の声が内側で大きく響いている。そのエネルギーが体を動かしている。

明日は金曜日。透析の日。また「本当に疲れて辛い」のだろう。私がいることが奏くんにとって良いことなのか、わからなくなる…。明日は行かずに透析の無い土曜日のほうがいいんじゃ…、そんな考えもチラつく。

19:45

家に帰るまで不安だ。万が一スナフィに何かあったら、その時は自分が崩壊するんじゃないかと、割と本気で思う。それくらい、スナフィが支えになっている。

駅に着く。さぁ、早く帰ろう。

20:56

奏くんは、寂しかったんじゃないかと、ふと思った。

奏くんは100%在宅ワーク。私は、変動も大きいけれど、週に数回は外出していた。特に今年は出張も多く、7月なんて1/3は家にいなかったかもしれない。

この広い家にスナフィと2人でいると、こんなにも寂しいんだね。こんなこと今までなかったから、全然分かってなかったよ。想像力もなくて、ごめんね。

明日、たとえ奏くんが透析で疲れていようと関係ない。会いに行く。もう寂しい思いをさせたくない。

21:20

ご両親から電話がある。

奏くんが一瞬でも靴を履いて立ったらしい!涙(良い方のリハビリ用靴を買っておいて良かった!ご両親絶賛。)

そして、奏くんがあの日のことを話したと。サーフィンから戻り、私に電話をし、そして「体の中がバキバキで体が冷えたからかと思ってシャワーした」こと。あの日の記憶はたぶん無くなっていると聞いていたから、ものすごく驚いた。

ボーナス。結婚式の場所を、「軽井沢の石の教会」と、言えたらしい。嬉しい!

大切な記憶を共有しているということが、いかに尊く、いかに有り難いことなのか、気がついた。

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