残酷なその体験が待っていること
でも、それがないと
前に進めないから
区切りがつけられないから
本当はそんなこと体験させたくなかった
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梨衣ちゃんの言葉が反芻していた。
出棺準備を待つロビー。数十人が所狭しと静かに待つその中に、友人のとイチくんを見つけた。四、五メートルの距離を挟んで、沈痛な面持ちのイチくんと目が合う。しっかりと私を見つめてから、ゆっくりとうなづいた。なにかが一気に崩壊しそうになった。急いで目を閉じ、視線を外した。私の友人達には、訃報を知らせていなかった。例外は、それを知らないと日常(仕事やプロジェクト)に支障が出る影響範囲にいる友人達のみ。だから、私の家族を除けば、参列者のほぼ全員が奏くんの親族と友人達だった。紀亜とイチくんと目が合ったことで、「喪主」に守られていたはずの生身の自分が出てしまったようで、一瞬でそこから崩れ落ちそうになった。
位牌を持ち、棺と、遺影を持った義父母とともに式場を出る。外は雨だった。
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いくつもの炉が並ぶ火葬場の一角。棺の蓋が、最後に閉じるその前に、大好きな額にまたキスをする。義父母が、棺を覗き込む。口元が動き、手が動く。叔父や叔母、親族が続く。その光景を、その中心の棺を、固い視線で見つめていた。さようならではない。頭がそう強く言うのを聞いた。
さようならだ。
身体なのか魂なのか臓器なのか何なのか、頭ではない、もっともっと深いところから、どうしようもない理解がそれに続いた。
もう一度。
お願いをして、額に、さいごのキスをした。
棺がそこに入った。扉が閉まった。
その中には奏くんがいるんだ。
吐きそうだった。
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収骨の時間が知らされ、火葬炉の近くに戻る。いくつも並ぶ炉の一番奥にある台の上に、火葬されたであろう白いお骨が見える。その中に、金属片のようなものを見た。体が一瞬にして縮まった。奏くんだ。
あれは二〇〇八年のこと。出会って一ヶ月。スケボーで左脚を粉砕骨折した奏くんは、そこに金属のプレートを入れていた。その白いお骨が奏くんであることを、一瞬で理解した。もう元には戻らない。No way back. 決定的だった。
いわゆる収骨をし、「立派」な喉仏を、最後に骨壷に納めた。180cm、100kg超えの奏くん。こんなに小さな骨壷に納まって、今、義父の胸に抱かれていた。
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隆の運転で、奏くんの実家に義父母を送る。一人息子の葬儀後。義父母の心労は計り知れない。にも関わらず、家に帰り着くやいなや義父母はディナーの準備を始める。「立派に喪主を勤め上げたのだから、零ちゃんは座ってて。隆くんも」その言葉に甘え、いつもと変わらずに二人でキッチンに立つ姿を、前日から準備していただろう次々に並ぶご馳走を、奏くんの骨壷と遺影とお花とを、眺めていた。
手の込んだ豪華なディナーを囲み、義父母は何度も私を褒めてくれた。立派に喪主を務めたことを、何度も何度も繰り返して。一粒の涙も流れず、笑顔と笑いと思いやりが絶えない席の横で、奏くんが遺影の中で微笑んでいた。