12:38
泣いてばっかりでいやになっちゃう。
会いに行きたい。たとえ奏くんが良く分かっていなくても、ちょっとでも会えるならそれでいい。
でも、心身ともに疲れ切っている自分。今日は面会には行かず、このまま家で休んでいたほうが良い。間違いなく。
ここ数日、奏くんの手を握れていない。
右手は、血圧を取るために手術以来ずっと固定されていて親指しか出ていない。
左手は、人工呼吸器や吸入器を抜いてしまうからということで、手首の拘束のみならずミトンみたいな手袋がすっぽりとはめられている。
触れたい。
腕に触ってみたり、額とか頭とか頬とかを撫でてみたりするけれど、本人がいやがるから、手を引っ込める。
「帰るね」って声をかけても、感情が見えないまま、もうどこか違うところを見ているから、寂しさを引きずる。
分かってる。目は覚めたけれど、意識はまだ覚めてはいないんだ。二週間ずっと鎮静剤を入れていたから、覚めるにはまだ時間がかかるんだ。
でも、やっぱり、私は寂しい。私は辛い。
ひとりになれば、声をあげて泣いてしまう。
今日は食欲が不調。
それでも、あれ以来、初めてごはんを炊いてみた。
炊飯器を綺麗にする。ごはんを炊く。冷凍しておけば楽だから、と、先の自分のために、3合炊いた。
会いたい、触れたい、側にいたい。
でもわかっている。今日は、面会に行かないほうが良い。
ご両親と奏くんだけ、という時間があったほうが良いし、何より私は、ひとりで家でゆっくり休むことが必要だ。
「8月に入ったら休もう」
体と心と脳の悲鳴が聞こえながらも、そう言い聞かせて全速力で走り抜けていた7月後半。
「体力の限界で、ごめんなさい」と、「明日もやれない?」のお願いを珍しくお断りさせてもらって、予定通りに出張から戻ったのが7月31日の夜。
駅前のいつもの場所で、奏くんはいつものように車で待っていてくれた。
私が仕事で外出の日はいつだって、車で駅まで迎えに来てくれる。付き合い始めた時からずっと。10年間。そこにいなかったこと、遅れたことは、一度もない。
「お腹すいたね」って、そのままスシローに向かった。疲れすぎていて、その時の奏くんの様子も、何を話したのかも、その後のことも、思い出せない。
ただひとつだけ。
「明日朝、波よければサーフィン行くわ」
奏くんがそう言っていたことだけ、残っている。
14:34
13:44 に、看護師長さんから電話がある。
体が一瞬のうちに緊張する。
「現在ICUで透析治療中。終わって午後3時頃、一般病棟に移る。一般病棟の面会は午後1時から8時。夕方に来る場合は16時か17時以降が良いかも。」
「一般病棟」!!!!!
夢にまで見そうだった一般病棟!!!
一般病棟…(涙)
体が跳ね上がるかと思った(いや跳ね上がっていたはず)。嬉しくて嬉しくて、嬉しくて(涙)、冷静に会話を続けるのが大変だった。
移る先の病棟はA棟、6階西の心臓血管外科。心臓血管外科の先生はW先生を筆頭に4名いらっしゃって、引き続き診てくださるとのこと。
ハッとする。ということは、ICUの看護師の方々とはこれで最後、ということか…!お世話になった看護師さんひとりひとりの顔が浮かんで来る。「本当にお世話になり有り難うございました」。もっともっと、伝えたい感謝の想いがたくさんたくさんあったのだけれど、もうそれ以上言葉にならなかった。
電話を切ってまた泣く。でも今度の涙は全然違うやつ。これで集中治療の急性期を越えたんだという安堵と嬉しさで、涙涙涙涙涙涙。
奏くんのご両親に電話を、と思ったけど、あまりに興奮と涙にまみれていたので、まずは父へ手短に電話して落ち着こう作戦。お父さんには昨日、「一般病棟なんてまだ先のことになりそう…(暗)」って言ったばかりだったこともあり、すごく喜んでくれた。
そして、奏くんのご両親に電話をする。
喜びと安堵のとき。私の奏くんに対する思いとは、全く違う次元の痛みと苦しみを抱えてきたはずのご両親。これでどれだけ安堵したことか…。胸が詰まる。
はぁ…。
脱力感。安堵感。
さっきまで「食欲が不調」なんて言ってたのに、ランチちゃんと食べれた!
しかも「フルーツ食べたいな〜」なんて欲まで出てきたら、ピンポンが鳴って、ドアを開けるとデラウェアを持ったお隣さんが立っていた。
…魔法なの!?神さまありがとう!!
17:13
「やっぱり面会に…」「いや休まないと」を何度も繰り返したけど、なんとか家に留まることができた…!妙な達成感。
お義父さんに電話をする。一般病棟に移った先の病室にすでに入っていた。
- 透析は24時間常時ではなくなった。明日もやる。
- リハビリをいろいろと開始。ベッドから足を下に降ろして座る。本人も、「大丈夫」と。両足を真っ直ぐに伸ばせる。足首も前後できる。
- 呼吸の補助(吸入器)はまだあててる。
大方元気そうで、何より。
今日はゆっくり休んで、明日はまず銀行だけど、その後病院に行こう。
20:54
家に戻って落ち着いたご両親から電話がある。
- 1人部屋の個室
- 会話は大丈夫そう
- 足のリハビリの人に補助されて両足を降ろし、つま先の上げ下げができた
- 一回休憩挟む
- 次は手のリハビリの人が来て、開いて閉じてとか、右左とか、チョキもできた
- 血圧を測りながらやっていた
- チアノーゼも良くなって来た
私が安心するようにと、具体的な状態や情報を伝えようとしてくれることが伝わってきて、胸を打たれた。
改めて、奏くんのご両親と家族になれた幸せでいっぱいになる。
写真を見返してみる。
…びっくりするほど、奏くんと私、2人の写真が無い!全然無い!
自分への怒りというか呆れと恥ずかしい気持ちで体が熱くなる。自分の目線が、いかに仕事にばかりに行っていたのか、自分にばかり向いていたのかに、やっと気がついた。
21:34
ビールを掲げて、ひとり乾杯の挨拶をする。
まずは、ここまでがんばった奏くんに。
そして、ここまでがんばったご両親と自分に。
W先生、S先生、そして、ICUの看護師や事務の方々。市立病院や救急隊や専門病院の方々に。
そして、茉奈や紀亜や私の両親、Joshや沙子、青、Calvin、梨衣ちゃん、近くで支え続けてくれてた人たち。
そして、他にもたくさん、要所要所で支えてくれた人たち。
ここまでこれたこと、急性期を脱したことに感謝して、スナフィと乾杯した。
また新しい章に移っていく。