8:57
面会に行くかどうかで悩んでいる。
人工呼吸器は外れたのだろうか?
今日どこかで外すことができるのだろうか?
もし行かないとすれば。洗濯をしたり、身の回りのことができる。スナフィは寂しい思いをしないですむし、私も少し疲れが取れるかもしれない。夕方にはご両親が面会に行って、今日の奏くんの様子を教えてくれるだろう。
もし行ったら。人工呼吸器が取れて、奏くんの声を少しでも聞けるかもしれない。
または、外すことがまだできずに、あの苦しむ姿を見ることになるのかもしれない。
だとしても、苦しいだろう時に少しでも側にいてあげたい。昨日の面会時間は悔しい思いをした。でも今日は、違ったマインドセットで、やり方で、言葉がない中でももっと上手くコミュニケートできるかもしれない。
手を握りたい、体に触れたい、目を見たい、奏くんの目に見つめられたい。
12:07
結局来た。
昨夕の状態から変化はそこまでない様子。いろいろ伝えたいようで、奏くんは頑張って口を動かしている。相変わらず、わかってあげられずで辛いのも変わらず。
S先生に数値も見せてもらう。
肝臓の数値はだいぶ良くなった。昨日まで悪くなり続けていた腎臓の数値は、ようやく下降に転じた。肺炎が出てたところも数値が良くなってきた。白血球のみ数値が悪くなっているけど、管を抜くために投与したステロイドと因果関係があるとのこと。であれば、すべて良くなって来ている。大きく安堵する。
酸素は94(健康な人は98ないと辛いけど術後はそのくらいで大丈夫とのこと)。「40か50あれば人工呼吸抜ける」と言われた酸素濃度も、51にまで下がった。「もう2週間も人工呼吸器付けているから、そろそろ、15時くらいに抜いてみようかと」と先生が言う。
15時!午後の面会時には人工呼吸器が抜けているかもしれない…!
夕方には奏くんの声が、言葉が、聞けるかもしれない…!
スナフィを思って、夕方の面会に少し迷いが生じる。
スナフィはこの事が起こるまで留守番経験ほぼゼロだった。そこから突然、ほぼ毎日お留守番をする日々に。ここ2日は10-19時でお留守番だ。家に帰ってあげたい。でも、…。
人工呼吸器抜いたからって、すぐに声が出るものなんだろうか。明日のほうが安定はしているだろうけど…。
12:44
とうとう食欲が戻った!
病院の食堂で、日替わりの中華定食(豚の梅肉炒め)を完食!ここまで来た!
午後の面会
面会の合間時間(5時間半)に、少しドライブして成田にある温泉へ。奏くんと、いつか行ってみたいね、って言っていた温泉だ。
露天風呂の目下に広がる田園風景。青い空と流れる白い雲。良い泉質のお湯。温まった体に気持ちの良い風。空いている平日のお昼間。静かな時間。
気がつくと考えてしまう現実や心配。でもそれに気がついて、今この時、風や気持ちの良い風景や体感に、気持ちを向けなおすようにすることができた。
良い時間だった。お盆の混雑を抜けた頃にまた、リフレッシュに行っても良いかもな。
17時前に病院に戻る。ご両親の車の隣が空いていたので、そこに停める。
一階のドトール前にあるテレビでは、高校野球がやっている。横浜の活躍を見ていたご両親が私に気づき、嬉しそうに手を振ってくれる。ミニストップで、豆乳とメープルナッツを買って食べた。お昼もよく食べたし、お腹が空くようになったんだ。
面会時間15分前。ICUのある二階に上がる。私たちを見つけた看護師長さんが駆け寄ってくる。
「お昼過ぎに人工呼吸器が外れましたよ!」
この2週間、奏くんはもちろん私達のことをずっとケアしてくれた看護師長さんのこの動きや嬉しさ溢れる声や表情に、感謝で胸がいっぱいになった。
午後5時30分。ドキドキしながら、ICUの入り口前でお呼びがかかるのを待つ。名前が呼ばれ、中に入り、入念に手を洗って、奏くんのもとに向かう。
人工呼吸器ではなく、蒸気の出る吸入器を口元に当てた奏くんが、入ってくる私たちに気づいてこちらを見る。「人工呼吸」を離脱した…。その光景に、すでに胸が詰まる。
私達が入ってくるなり早速何かを言おうとしている奏くんの口元に、耳を寄せた。
2週間ぶりに発する声は、ささやき声で、でも早口で、その上痰も出やすくて、しかも脈絡がない。やっぱり何を言っているのかわかってあげられない…。いや、言葉の意味はもはや置いておこう。そこには、言葉ではない、何か通じるものがあったんだ。
笑顔も見れたし、吸入器越しによくやる変顔をするから、「奏くんが戻ってきた!」と一気に涙でいっぱいになってしまって、ぱっと天井を見上げた。(なんか涙は見せたくなかった)
奏くんが最初に「話した」言葉は、「河井さん…大丈夫」。家賃のことかなと思って(河井さん=大家さん)、「家賃も払ったし、河井さんはウッドデッキも片付けたり、芝刈りまでしてくれたんだよ!」と言うと、なんとかかんとか、サーフィンなんとか、で、「最高だね!」みたいな(笑)。
スナフィのことも気にしている。トリミング行ったんだよ、って写真を見せた。
いろいろ言っているけどイマイチなにを言っているのかわからず…。
看護師さんを見て、「今の誰?」と。帰り際には、「ここはどこ?」と聞くから、「成田だよ」というとそれは驚いた顔をしていた。「帰るね」と言うと、「歩いて帰るの?」と。「無理だよー(笑)」(徒歩で7時間半)で、場が和む。
面会が終わり、ご両親と3人で味の民芸に行った。
お父さんが「奏が笑ったんだ。お祝いに鰻を食べよう」と笑顔で特別メニューにあるうな重を指す。じーーーーん(涙)として、「そうしましょう!私もうな重でっ」と私が続けると、お母さんがニコニコな笑顔で「私はこれにする♡」と天重を指差した。
奏くんのご両親が好きだ。それぞれうな重と天重を食べる目の前のふたりは、美味しいと思ったものを少しずつ分け合っている。ごく自然に。距離もなんかいい感じで近いし、ふたりを見ていて、いいな、と思う。
奏くんが一層恋しくなった。
このふたりだから、私の大好きな奏くんなんだと、感じ入りながらうな重を食べた。
人工呼吸器が外れることが、ひとつのベンチマークだった。
意識が戻った本人への苦痛はもちろんのこと、2週間に渡った人工呼吸器装着による影響を、先生は懸念していた。
調べてみると、まだまだ状態の悪い腎臓にとって、尿量の減少につながるという影響もあるようだし、他にも、肺、心血管系(血圧低下など)、肝臓、中枢神経系、胃、腸管への影響など、枚挙にいとまがない。
人工呼吸器を外す「適切なタイミング」を見極めるのが重要ともある。遅過ぎれば上述リスクや喉(気管)に入れているチューブによる気道損傷などさまざまな影響のリスクが増えるし、一方早過ぎれば再挿管のリスクが増える。
「適切なタイミング」が、手術からちょうど2週間でようやく訪れた。
人工呼吸器が外された、ということは、この急性期をようやく脱した、とも言えるんじゃないかな。ようやく。長い2週間だった。
そう。何気ない日常の2人の写真を、もっとたくさん撮ろうと思った。
そして、これまで奏くんに甘え過ぎてたな…、と反省もしている日々。