7:57
先週の土曜日が、一番底だった。
それからもう1週間が経つなんて。
着実に時は進んで行く。
庭では、日中の酷暑を考慮して早朝7時過ぎから、ウッドデッキの修繕が進行中。大家さんでもあり、今では良き友人、というかお母さんみたいな存在の河井さんに、ここ数日の奏くんの状態を報告する。「『一山越えた』のLineに涙が出た」と言ってくれる。河井さんの心配が、表情から声音から、全身から伝わってくる。
たくさんの人の心と共にある。
夕方の面会
スナフィを連れて、紀亜と車で病院へ向かう。道中、晴れているのにすごいゲリラ豪雨。ハンドルに体を引き寄せて、なかなか緊張感のあるドライブ。
面会中、紀亜は一階のドトールで待っていてくれた。ICUの面会には、「家族」以外は入れないことになっている。
ICUに入る。しばらくは人工透析交換中。体温は38度6分くらい。二日前は70%で、「目指せ60%」と言っていた酸素濃度は、なんと50%になっている!
執刀医W先生は昨夜泊まりで朝帰宅したとのことで、当直の先生から説明を受ける。質問はしづらかったので、聞いたことのみをメモ。
- 昨夜鎮静剤を止めた。とは言え、通常と異なり、透析やっているから腎臓から鎮静剤が抜けるのに普通より時間がかかる
- 透析で水抜ける→(内臓などの)むくみがもう少し取れる→呼吸良くなる→意識が戻る→人工呼吸外す、の順番。意識が覚めていないで人工呼吸抜くのは危険(痰が喉に詰まるなど)。なので、今は目覚め待ち。
- 肺炎:レントゲンの結果は良くなっているし、採血も良くなっている
- 寝返り:ずっと仰向けだと肺の背中部分が潰れる、体重もあるし
床ずれ防止のための枕が左半身下に敷かれていて、奏くんの体は、私がいる方とは逆の方向を向いていた。
腕を触るとすぐに反応がある。
嬉々として、額を撫でながら声をかける。
奏くん、良く頑張ったね、頑張ろうね、私は側にいるよ、ずっと側にいるよ、大丈夫だから、すぐ良くなるから頑張ろうね、良く頑張ってるね、愛してるよ、ここにいるよ。
声をかけると、一生懸命に目を開こうとしている。声のするほうに、一生懸命に頭を向けようとしている。
私の声が、届いている。
奏くんの意思を、感じる。
この初めての出来事に、胸が一杯になった。
左手で奏くんの左手を握り、右手で、奏くんの額や耳元や側頭部を撫でていた。すると、左手にくっと反応がきた。しかも、2回も。
驚いて、嬉しすぎて、飛び立っちゃうんじゃないかと思った。胸が、目頭が、熱くなった。
意識が、戻りかけている。
「次」の面会時間には、目を覚ますかもしれない。意識が戻る、戻っているかもしれない。
看護師さんの「口を開けて」という指示に応えて口を開けた、という話も先生から聞いたし、目も開けた、とも聞いた。
「次」がその時かもしれない。できれば毎日、午前午後両方の面会時間に、会いに行こう。
目が覚めて、自分の置かれている状況に気づいたら、ものすごく不安になるんじゃないだろうか。面会時間はたったの45分だけ、お昼前と夕方の二回だけ。その時間だけでも、できるだけ側にいたい。明日も午前中から面会に来よう。
もう一度私を、その目で捉えて欲しい。見つめ合いたい。手を握り返して欲しい。声が聞きたい。
もう一度、恋をしているようだと思う。
0:04
ドトールで待ってくれていた紀亜に、面会後、「反応があった、意識が戻りかけている」と涙ながらに様子を伝えると、本当に喜んでくれた。
紀亜の表情や声色から、紀亜だけでなく、紀亜のご両親が本当に心配してくれていることが伝わって来ていた。長野へと帰る紀亜が、「来て良かった」と言ってくれたときの嬉しさ。良いニュースを持って帰ってもらうことができて、本当に良かった。
落ち着いたら、奏くんが退院したら、お世話になった人々にしっかり恩返しをしよう。
紀亜のように、大切なひとに何かがあったとき、 すぐに飛んで行けて、必要なサポートができるようになりたい。
経済的に自由になる。
大切なひとたちに何かがあった時に、心からのサポートを惜しみなくできるように。自分に何かがあった時にも、自分で対処できるように。
時間的に自由になる。
大切なひとたちに何かがあった時に、すぐに体を動かせて、側にいることができたり、必要なことのために動けるように
「反応があった」「もうすぐ意識が戻るかもしれない」。このニュースに、両親も叔母も、JoshやCalvin、みんなが喜んでくれている。
ひとりで生きているのではまったく無い。
生かされているのだと、自然に思う。