病院での1ヶ月

“Stay Gold”

病院へ向かう

いつものように、成田に向かって車を走らせる。

救急車の音が聞こえる。

体が強張る、苦しくなる、胸が詰まる。

奏くんが良くなるにつれて、この決まって起こる救急車への反応は薄まって行くのかな。

15:10

病院の駐車場に車を停め、玄関を入り、受付票を書く。

面会先をいつものように「ICU」としようとして、はっとする。そう、もうICUじゃないんだ…!

エレベーターで6階へ。初めての心臓血管外科病棟に少し緊張しながら、ナースステーションに立ち寄る。

奏くんが現在透析中であることを教えてもらう。10時に開始しているので、15時半から16時くらいに戻ってくるのではないか、と。ほんの最近まで24時間常時透析していたことを考えると、着実に回復してきているんだな。

若い看護師さんに「娘さんですか?」と聞かれる。え?っていう顔を私がしていたんだろう、「いや良く分かっていないからなんですけど、…奥さん?」と聞き直される。「はい」と答えると、あたふたとフォローしていた。

11歳の歳の差に、ここ数週間を経ての奏くんの状態か。少し切ない気持ちになる。

15時半をまわった。ナースステーションをぐるっと囲むように通路を進んで一番奥が、奏くんの個室。名前を確認して、アルコール消毒をして、ノックしてからドアを開ける。

「久しぶりじゃん」

奏くんが、私を見て言った。

「サーフィン。とにかくサーフィンがしたい」

「退院したら、したいことある?」そう聞いた私に、奏くんは即答した。

「写真もいっぱい撮りたい」と続ける。

静かな沈黙。

わかんない、まだ全然わかんないけれど、でも、血圧が上がってしまうことは、今後きっとNGになる。サーフィン…。

反射的にそう思ってしまった。途端に、自分の深いところから涙が溢れ出てきてしまっていた。絶対にだめだ、奏くんに見られたら。横目でさっと奏くんを見ると、奏くんの目からも涙が流れていた。とても静かに。

言葉のない時間。そこには空気が流れていただけだったのに、ふたりとも、同じタイミングで涙を流していた。

言葉がなくても、言葉以上に、通じ合うものがそこにあった。

奏くんの中学からの友人、ケイくんから連絡があったのは、悪性高熱症で奏くんの熱が42度を超え、死が近くにあるんじゃと戦慄していた5日のことだった。

「一宮で海入らない?」

奏くんの代わりに返信をした。状況をごくごく簡単に伝えて。以来、時折入る状況報告があり、14日には、奏くんが目を覚まし人工呼吸器が外れた、という報告ができた。

安堵の返信と共に「俺から奏へ」と、Extreme の「More than words」のYouTubeリンクが送られてきていた。

米サンディエゴで奏くんとケイくんが一緒に生活していたときの、思い出の曲。奏くんはこの曲が好きで、ギター練習しながら歌ったりもしていた。これを聴いたら意識が戻るんじゃないか。そう思って、ケイくんが送ってくれていた。

「ケイくんからだよ」と、ベッドに横になっている奏くんが見やすい位置でiPhoneを持ち、「More than words」の動画を流した。

見終わると、不意に奏くんが言った。

「スナフィとケイに、 “Stay Gold” を」。

YouTubeで “Stay Gold” を検索する。Stevie Wonder が歌うものを、「これで合ってる?」と、確認のために流して見せる。

このとき、奏くんの胸には何が去来していたんだろう。

気がつくと、画面を見つめたまま、奏くんは再び静かに涙を流していた。

たまらなくなって、奏くんの頭を胸に抱いた。奏くんの生命を維持しているいろんな管の妨げにならないよう、できるだけそっと。

「神かと思った」

しばらくしてゆっくり体を話すと、奏くんが言った。

どんなことがあろうと、私があなたを守るし、いつだって側にいる。ずっとずっと、これからもずっと。

「お腹が空いた」と、何度も何度も、何度も言っていた。

8月1日のお昼頃におにぎりを少し食べて以来、約2週間、鼻からのチューブで直接胃に入る栄養が唯一の「食事」。どれほどの空腹状態なのか、想像もつかない。

「どっか行く?」「そろそろ行く?」「帰りたい」「買って帰るものないの?」

奏くんの発する言葉の日常さと、全く合わない状況の異常さ。このギャップに全然慣れない。未だに惑い、未だに胸が苦しくなる。

19:17

本当にすごく辛い。

一難去ってまた一難。次から次に降りかかってくる。戸惑い苦しみ辛さ。

いや、だけど。

命がつながったんだ。急性期を越えたんだ。

リハビリの先生が言っていたみたいに、亡くなる方も多い病気。

それを乗り越えているんだから。ゆっくり治していくんだから。

23:08

たとえ辛くとも苦しくとも、奏くんと一緒の時間を過ごせると、やっぱり私は満たされる。一緒にいられればそれで十分なんだ。そう思える。

感情のローラーコースター。

その瞬間にあることが真実で、ただそれだけでもうそれで十分。そう思える賢者モードの時もあるけれど。

「Stay positive」「Believe in him」とか体に刻みたい。代わりにペンで腕に書いてみた。

この奏くんの状態、何が起こっているのだろう。

W先生の見解としては(久しぶりにお話しする時間があった)、やはり小さくとも脳梗塞があったことと、腎臓の機能のこと、この2点が、今のまだ意識が覚めていないような状態につながっているようだ、と言っていた。

「零にゆっくり会いたかった」

奏くんから今日もらったその言葉。もう本当に嬉しかった。

明日も会いに行く。

会いたい。手を握りたい。

奏くんが少しでも早く日常に戻れるように、できる限りのことをやる。

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