病院での1ヶ月

台風「避難準備」

22:02

台風が房総半島に接近。大網にも「避難準備」が出る。テレビのニュースで、近くの避難所が読み上げられる。そもそも、スナフィがいるのだ、スナフィと2人なのだ。避難所には避難できない。

心細いことこの上ない。

念のため、と、非常持ち出し袋を準備する。すぐ出れるような服装を隣に置いて寝ようかな。

踏んだり蹴ったりとはこのことだ。

24:28

今日の午前中は、茉奈を成田で送り、その足で11時15分の面会に行った。

病院へ向かう道中に、パン屋さんで買ったコロッケパン。大好きなコロッケパンだけど、今の私にはやっぱりまだ重かったか、1/3以上進まなかった。

病院は外来で混んでいて、駐車するにもちょっと待った。夜にかけての台風予報だから今日は仕方ないけれど、行くならやっぱり、夕方がストレス少ない。

W先生が(手術後っぽい格好で)お話しの時間を取ってくださった。以下メモから。

  • 尿の色は、悪い時はロゼワインくらいだった。
  • やはり15万の値というのはCKのことで、クレアチニンキナーゼ(CPKとも)の意。今日の時点では1万まで減少。半減半減で来てる。採血データは良くなっている。
  • 現在透析液と血液は半々とのこと。血液の取り込みが落ちているので、130ccの尿を外に逃がす。量の変化はなし。「時間がかかるもの」。
  • 肺炎の菌が痰からから検出された。人工呼吸器を長く続けたくない。合併症のもと。なので肺炎の対策を始めた。
  • 筋弛緩剤は10:40に切った(!)。通常なら1時間ほどで切れるが、他もいろいろやっているし(たぶん人工透析などのこと)、なので切ったからといって、そんなにすぐは出てこない。
  • 脳:画像上は変化なし
  • ダントロレン:最初は使っていたけど、状況が状況なのと、現在はもっと強いやつがあるのでそれを使った。

平熱が数日続いたので、冷却装置が外されていた。寝巻きもちゃんと着ていた。

顔色はずいぶん良くなった!「寝ている」とも言えるくらいに。やっぱり見た目が与える精神的なインパクトは大きいんだ、と実感する。

肌の温もりも通常の範囲になって、手先足先も、湯たんぽのおかげか「ひんやり」くらいに回復。むくみは相変わらず。足は各所にチアノーゼ。腕にも所々青あざあり。

歯などは1日3回もキレイにしてもらっているとのこと。看護師さんたちに頭が上がらない。

床ずれ対策か、大きなクッションが左上半身下に入れられ、奏くんの体は面会者が入れる方のベッドサイドとは逆側を向いている。「あっち向いちゃっていてごめんなさいね」と、看護師さんが気遣ってくれる。

面会から帰宅。「これなら食べられそう」とイオンで買ったコアジの南蛮漬けと、ミョウガとあさつきを卵でとじたうどん(冷凍うどんの半分)を作り、ランチにする。

食べてから疲れを感じる。仕事ができそうな感じが到底なく、少し眠る。1時間弱寝てたかな。起きるのにも、結構ながんばりが必要だった。

なかなか気力が出ない。仕事がんばらないと。背中を押してもらいに、お父さんに電話をする。お父さんの、うんうんうん、という話しの聞き方がとても好きだ。電話のおかげで勢いがついたけど、仕事はせずに、奏くんのご両親に電話する。

お義母さんが少し食べられるようになってきたようで、一安心する。今日の面会での様子と、私の声が元気なのを聞いて、少しでも安心させてあげられていたら良いなと思う。明日は夕方の面会に行くとのこと。「仕事があるんだから無理はしないように」と、私を気遣ってくれた。

電話を切り、スナフィがわんわん言うので、ごはんにする。ちゃんと毎食良く食べる。食後にまたわんわん言うのでおかわりを少し入れたらそこには見向きもせず。食後のおやつはダメです。おやつの時間に棒ガムを二本あげたけど、そのくらいだったら夕飯もちゃんと食べるんだな。

ここしばらく、いやもうずっと、私は仕事で忙しくて、スナフィのことは100%在宅ワークの奏くんに任せっきりだった。スナフィの食習慣を知る日々。スナフィと私の付き合いの、再構築だ。

明日はがんばって仕事の目処を早めにつけて、夕方の面会に行けるようにしよう。

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