13ヶ月後

そこには「お母さん」がいた

23:36

茉奈の部屋で仕事をしていると、閉じたドアの向こうから母が痛がっている様子が聞こえてくる。父が、痛み止めの薬オプソを飲ませようとしている。

手を止め部屋を出て、母が痛がっているらしいところを優しく擦る。「肩甲骨ら辺」と言うので、触りながら「ここ?」と聞く。痛みはどうやら、背中の右真ん中ら辺のよう。擦りながら、私が付いている、側にいるよ、というポジティブなエネルギーが伝わるよう、微笑みを意識しながらもう片方の手で母の手を握っていた。

母は、「ありがとう」と、何回か言った。そして、「忙しいのにごめんね」と。

胸が締め付けられた。

そんなことはどうだっていいんだ。お母さんの今の痛みや苦しさや辛さに寄り添ってともにいる、ということより大事なことなんてない。思いは声にならなかったけれど、代わりに、「全然いいんだよ、助け合いだよ、小さい時には散々面倒みてもらったじゃん」みたいなことが口から出た。

その時、そこには「お母さん」がいた。

認知症の母を見ていると、このズレは、レイヤーなのか、次元なのか、なんなのかと思う。人は認知のズレというが、それだけでは無い気がするのだ。だけれどこの時、母は私の認知するところと同じところにいた。

ここ数日は連続で母のシャワーをしている。

いろんな日がある。昨日は髪まで洗うことが出来、いたく有り難がってくれていた。本当に気持ち良かったのが伝わってきて、すごく嬉しかった。本当に嬉しい、本当に気持ちが良い、が、笑顔と声と表情から伝わってくると、…もう嬉しさ極まって泣きたくなる。そして終わりには四千円もらった(笑)。母の世界では、その私は美容師さんだったのだと思う。

いいんだ、それで。現実はたくさんある。事実なんかどうでもいい。お母さんがそう思って、そう見えていたら、それもまた、ひとつの事実というか、現実なのだから。

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