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「英語のメールが二通あるの。ちょっと見てくれない?」
奈良・吉野出張に備えて、義父母宅に昨夜から泊まりで来ていた。豪華な夕食で満たされたお腹をコーヒーで収めながら、義母に手渡されたコピーに目を通す。
スコティッシュカントリーダンスを続ける義母は、本場スコットランドで開かれるサマースクールにも毎年通っていた。そこで出来た友人とのクリスマスカードなどのやり取りに、「見てくれない?」と英文チェックを頼まれることが時折ある。
一通目は、訃報への返信メールだった。亡くなられたのはダンスの先生。
「長年連れ添ったご主人から来たメールがこれなの。しっかりした文体でしょう。先生の写真も添えられてたのよ。」
快活さに柔和さも感じさせる美しいグレイヘアの女性が微笑んでいた。
悲嘆に打ちひしがれてまだ間もない時、何を言われると有り難く、何を言われたくないか、痛みを持って推し量ることができる。悲しいながらも、経験が活かせて誰かの何かになるのを良かったと思いながら、義母とお悔やみの文面を書き上げた。
「ありがとう。お送りできて本当に良かったわ。それでこっちがね、マリオンのメールなの。」
マリオン。義母と親しいやり取りのある、スコットランドに住むダンス仲間だ。メール下部にある、これまでのやり取りも一読する。走らせていた視線が、その言葉に吸い込まれた。
「お孫さんはまだなの?」
朗らかに、さらっと。地球の裏側のマリオンがそう微笑むのが、見えるようだった。
やはり義母は、一人息子の死をマリオンに伝えていないんだ。いや、きっとマリオンだけではないのだ。「悲しませちゃうし、気を遣わせちゃうでしょ?」と、いつかの笑顔がよぎる。
「お孫さんはまだなの?」
この言葉は、どれだけ義母の心に刺さったのだろう。
二人のやり取りを横目に、テレビに視線が向いている義父は、何を思っていたのだろう。
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車窓を眺めながら、その言葉は何度も反芻していた。さっき駅のプラットフォームですれ違った、赤ちゃんに笑いかけるお母さんらしき女性と、義母ほどの年齢の女性の姿を重ね合わせながら。
続くものは続くし、途絶えるものは途絶える。それとて、ある狭い範囲に限った話しで、人類全体で見れば、続いていくのだ。大したことじゃない。
と、思ってみる。大したことじゃないよ。家が続くとか、続かない、とかは。…たぶん。そしてそれは、私が背負うべきことではない。よ。
新幹線の車窓に、5月の青々とした茶畑が流れていく。その向こうに、山頂にもくもくと雲をかぶった富士山が見えた。