八鶴湖を縁取る小山に入り、木漏れ日の車道から土埃あがる小径を歩き進む。金網の向こうに抹茶色の溜池。淵に鎮座したハチワレ猫が、じっと見つめる視線にしばし立ち止まる。
やがて、素っ気ない道はひんやりとした森の気配。静かな鳥居から、トトロの森へと繋がりそうな落ち葉を纏った石段が続いている。「日吉神社東参道」の石標に、スナフィと鳥居をくぐった。
東参道は、ゆるやかな上りの森の小径。両脇のところどころに、1200年の歴史を感じる大木。広がる影の合間、木漏れ日とどく明るい地面からは、幼い木々がのびのびと枝葉を伸ばしている。
iPhoneが通知を鳴らす。昨日まで泊まりで遊びに来ていた友人からの御礼メッセージだ。
「楽しかったという言葉が薄っぺらくなるくらい、すごく濃い時間を過ごせた」との言葉に、思わず笑顔になってしまう。
「零さんの心の痛みは到底理解できないほどですが、なにか力になれることがあればいつでも言ってください。100%の味方でいる旦那さんは必ず見守っていてくれていますし、感性的な話ですが、すごく暖かい気が流れてるお家だと思ったので、零さんはひとりじゃないです。」
鼻の奥が、じん、と痺れる。文字が滲んだから、森の空を見上げた。ざわざわと、風に枝葉が揺れて、青空が形を変える。足元の大地から伸びる太い太い幹は、やがて川のようにその支流を四方へと広げて、その隙間を木の葉が埋めていく。ざわざわと風に揺れて、涙が頬を滑り落ちた。
「ひとりじゃない」
ざわざわは、友人の声になって、そう言った。
彼女の凛とした強い目と、強さ弛む瑞々しい笑顔を思い出す。10ほど年下の彼女は、同僚という関係性も年齢差も超えて、心が優しく交わり合う関係だった。
料理が好きで、食べることが好き、という彼女とは、17時から料理を作り始め飲み始めて、たくさんの身の上話に興味関心に価値観にと広がる世界はたくさん形を変えて、メインのステーキを堪能した頃には23時を回っていた。
楽しかった夜を思い出して、思わずひとり笑ってしまう。17時から23時。6時間もの間、作っては飲んで食べて、そして喋った。ふふと笑いながら、御礼を送る。
「次回はデザートまで行こうね」
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Cafe NOL で続く作品展示の様子も見にいく。初日には、電車の乗り継ぎの大変な場所にも関わらず、都内から友人たちも見に来てくれた。
「愛されてますね」
マスターの庄司さんが、初日を振り返りながら笑顔で珈琲を出してくれた。
愛されている。実感を胸に、いつもの浅煎り珈琲を飲む。ぽってり飲み口の感触も楽しみながら。たしかに、愛されている。さっきも、通っている歯医者さんの奥さま(歯科衛生士)から「今度クレープを食べにいかないか」と連絡があった。皆がそれぞれに、気にかけてくれる。時間を取って、文字にして、声にしてくれる。側にいてくれて、ハグをしたり、してくれる。
帰りがけに、奏くんのご両親に電話をした。いつだって明るくて優しい声での、何気ない会話。電話を切って、ひと呼吸を入れる。途端に、涙が溢れて止まらなくなった。
だけど。だけど。
だけど。
奏くんに、ここにいてほしい。
新しい現実なんて、これっぽっちもいらない。
半年分の差分が苦しかった。