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「何があったの?」
最大限の思慮深さでやってくる問い。答える直前、天秤のこちら側には、話すことによってもたらされるだろう乱れるほどの苦しさが乗っている。一方の側には、相手からの気遣いや愛と、以前とは異なってしまった私を受け止めてもらい新しい関係に踏み出せるという安堵感が乗っている。圧倒的に重い後者のほうに、天秤は大きく傾いている。
だから、話す。あの日々の場面描写に、取った行動。何を思い、何を考えたか。多少の感情や表情の揺れはあっても、場を大きく乱すことはない。
「話させてしまって、辛い思いをさせて、申し訳ない」
受け取り手は、本当に申し訳なさそうに、悲痛な響きで声を絞り出す。「ううん、全然大丈夫だよ」。偽りなく、そう答える。ここを通らずには関係がもう成り立たないから、むしろ話し聞いてくれる機会をありがとう、と、言葉を見つけながら伝える。
その時、きっと私の涙を見ることはない。
辛い、苦しい、悲しい。どうしようもない感情の大時化に飲まれている自分は、この時完全に切り離されている。
口に出せないんだ。親友のみならず家族にも、口にできないし、泣けない。
「事後報告しかできない」。そう母に言えば「子どもの頃からそうだった」と返ってきた。あれは母の誕生日、2月21日のこと。それから一ヶ月、その言葉をバッグに持ち歩いている感覚で暮らしている。
なんで口に出来ないんだろう。辛い、悲しい、苦しい、本当はどうしようもなく、引きずり込まれそうに辛くて苦しいんだ、と。なんで、泣くことすら出来ないんだろう。
青とのセッションで、そのことに触れてみた。彼女はいつも通りに、ただ私の話す言葉を聞き、時折解像度を上げ深掘りするための問いを挟む。彼女は完璧なファシリテーターだ。
セッションの中で、気がつけば泣いていた。泣き声が嗚咽に変わるのを、必死で我慢していた。「『辛い』『苦しい』って口にすること自体、辛すぎて苦しすぎてもう絶対無理。しかも自分の声がそう言うのを聞きたくない。聞かされるようで、確かめさせられるようで、返ってくるようで、激しく揺さぶられる感情に耐えられない」。
そう言った感情を出さないのが自分の性質なのかと思っていた。だけど、違った。未だに耐えられないから、だからずっと避けている、ということだった。母の言うように、子どもの頃からであるなら、なおのことだろう。突然出来るようになるなんて、しかも、こんな大時化の感情だなんて、土台無理な話だ。
とは言え、これは大きな気づきだった。
春になるまでは置いておこう。そうして置いておかれた物事に囲まれて暮らしている。
春分を迎えた散歩道は、春の訪れをささやく花々で彩られている。ホトケノザやオオアラセイトウの紫の小道。水仙のアヒルのようなすっくと立ち上がった白と黄色。道端に咲き始めた、まだ背の低い菜の花。生命エネルギーの立ち上がりにむせ返りそうになりながら、「あぁ動かなくては」と思う。時が止まったままの奏くんの部屋の前で、それは焦りに変わる。未だに、どうしていいのかわからない。自然の摂理は、かと言って私を動かしてくれるわけでは無さそうだ。
だけども、出来ないことに気がついた。それだって、何かの立ち上がりかもしれない。
帰りがけに摘んだ紫色のオオアラセイトウを一輪、水を差したガラス瓶に生けた。