6ヶ月目

風のように生きていきたい

17:59

ひとり禅林寺の「もみじの永観堂」に向かったのは、「とどまる」「こだわる」「執着する」を忘れさせてくれるところだと勧められてのことだ。

紅葉の頃には京都屈指の賑わいを誇る名所も、寒さ厳しい2月に人影もまばら。総門に続いて中門を入り、大玄関から諸堂へ入る。優雅に泳ぐ三種の鯉をしばし見つめてから、池を横目に廊下を釈迦堂へと進む。中で手を合わせている人をしばし待つ。しばらくして出てきたその人と軽く会釈をして中へ入った。後にはだれもいない。

お釈迦様の前に座り、ひとり静かに手を合わせた。

「奏くんの魂の旅路を、どうかお護りください
次の生へと向かうのであれば、その旅路をどうかお護りください」

他にひとの気配もなく、心静かに、祈りの時間を持つことができた。

お堂の外に出て少し歩く。苔むす中庭のその美しさに、時が止まった。

Let it go(手を放す)

無常であるその美しさに心打たれ、呟いていた。

気づけば涙していた。

.

山の斜面に沿って作られた木の階段は、「臥龍廊」と名のつく通り、山で休む龍のお腹の中にいるようで居心地が良い。そのお腹の中部あたりには、水琴窟がある。井戸のような円柱に竹の蓋がされたような水琴窟。柄杓を手に取り、お水を注ぐ。静けさに響くその音は、手の届かない洞の世界に響く柔和な鐘の音のよう。周囲には誰もいない。しっとりとした山の斜面に、木々や苔やシダ。心に広がる静けさに、あちらの世界からの水の音が響く。

万事、頭を過ぎっては消えていった。大事なことも、そうでないことも。

「風のように生きたい」

あらゆることが過ぎ去ったあとに、その言葉が静かに浮かんだ。それこそ、風のように。

.

多宝塔へと続く石段を上り切ると、眼下には京の街が広がっていた。目的地にたどり着いた。

「日想観」と書かれた案内板の文字を目で追う。

心を凝らして日輪を眺めて、亡き人の浄土往生に思いを馳せ、後生お浄土へ生まれるだけではなく、この娑婆世界に生きる私の縁に気付いて、この世でも浄土の生活を心がけるのです。即ち、先立たれたお方に思いを寄せ、そして、亡き人に自分のしたことを反省し、その亡き人の生前の徳を思うことにほかならないのです。今一度自分の「いのち」を問い直してみたいものです。

禅林寺「日想観」

何度も読み返す。

眼下に広がる京の街の遠く向こう、夕日の沈む西の彼方にあちらの世界を観て、彼を想った。自分の行いを反省し、彼の行いに感謝して、その魂の向かう先が良いものであるよう祈りを捧げた。

それは、儀式だった。離れがたいと思いながら、終わったのを感じたのか、身体は自然とそこを離れた。

.

石段を降りながら、なにかが変わった気がしていた。

何が変わったのかは分からなかった。でも、その魂を思い、今生から送り出す儀式ができた。未熟でちっぽけな私だけど、私なりの儀式ができたのだ。この感覚は、忘れない。

今だって、彼を愛している。

彼の魂は、今もきっと側にいる。だけどいつか、その魂も次の道へと歩みはじめる。次の別れがやって来る。祈りが届くなら、願いが聞きいれられるのなら、その時はぜひ教えて欲しいと願う。魂が側にいる、そう思えるから、こうしてここに立てているのだ。

でも、その肉体や遺された物事に執着することが違うように、その魂に執着をすることも違うのだろう。

彼の魂が次の世に歩む時が来たのならば、let go しなくては、手放さなくてはと思う。けれど、こちらの「時」はまだ来ていない。「違う」とは思えても、まだまだいくつかの儀式と時間を必要としている。

でも、ひとつの儀式を通過することができた。

京都に来て、本当に良かった。

私は、風のように生きていきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です