22:13
夕飯を片付けたテーブルに、写真立ての奏くんを据えて、お鈴とキャンドルも並べる。
控えめな銀色をした卵型のお鈴は、いつか中華街で見かけた。それが必要になることなんて想像もしていないときに。先日ふと思い出し、茉奈に付いてきてもらい中華街まで出迎えに行った。りん棒の木(もく)で鐘を鳴らす。繊細な音は祈りの波となって、遠く遠くへと消えていく。
奏くん、河井さんが紅まどんなを一箱も持ってきてくれたんだよ。一緒に食べよう。ほら、オレンジ食べて「感動的に美味しい」(病院食のなかで唯一)って言ってたじゃない?
今日も、写真のなかの奏くんはにこやかだ。
来週からは、私が外出の時にはペットシッターさんが来てくれる。
外出が続いたこの一週間は、寝不足でもあった。寝入りから夜明けまでのどこかで、一度は必ず目が覚める。スナフィが、この時間のどこかで毎晩吐くようになったのだ。3日目にもなれば、その気配だけで飛び起きて彼の口元に向かって両手でダイブインする、という体になっていた。
スナフィはこれまで、留守番を経験したことがなかった。
完全在宅ワークの奏くんはいつだって家にいた。スナフィはいつだってその彼の側にいた。彼らはもはやワンセットだった。私たちが出かけるときも、スナフィはいつだって一緒だった。車が大好きなスナフィ、車は第二のおうちだった。保護犬として一度は保護施設で暮らした彼を迎えたとき、もうひとり寂しい想いはさせないからねと彼を抱き、そうやって日々を重ねてきた。
なのに。
うまくできていなくて、ごめんねスナフィ。ぴたりとお尻をくっつけたスナフィを撫でる。次はあの優しそうなシッターさんが来てくれるからね。ごめんねごめんね。
24:15
一昨日の夜、母から電話があった。そこでの彼女の言葉が、今朝までずっと引っかかっていた。
「茉奈より弱いかなと思っていた」
思ったより私が強いことに驚いて(そしてたぶん感嘆して)いる様子も伝わってきた。
今朝になって、引っ掛かりは言葉になった。
「強い」とか「弱い」という言葉でひとりの人をひとくくりにして誰かと比較するのは、違う。茉奈にも私にも、そしてきっと母自身にも、弱いも強いも、無数に複雑に絡み合って混在している。
子どもの頃は、母のジャッジメントがすべてだった。「良い」は「悪い」に、「嫌い」は「好き」に、母の一言で、私の意見はころっと変わっていた。後ろめたさと戸惑いは、精一杯さの影に隠れた。
でも、今は違う。
「違うんだよ」
と、自分の中で、静かに受け止める。
違うんだよ。
私は、私も、弱いし、強いし、弱いし、強い。
この静けさを強さと呼ぶのであれば、それはあの夢からだ。奏くんと愛を伝え合ったあの夢から、私のなかに静けさと安定があることを感じていた。全然違う。
奏くん。また、夢で会えることを