7:05
夢を見ていた。
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洗面所の鏡の前
鏡の中の自分に向かって変顔をし
自分で笑っている奏くん
「ゆっくり俺を愛して」
歌のように、口ずさむ
彼のもとへとまた一歩
抱きしめるその感触は、どんなだろう
その身体に、腕をまわしてそっと抱きつく
その腕が、その胸が、私をぎゅっと抱きしめる
そのあまりに生々しい感触に
抱きしめる両腕に力を込めた
ふと見えない知らない力
終わりの予感に
その首元に腕を回して
いっぱいにキスをした
顔を見ることは重要ではない
この感覚を
ぎゅっと抱きしめた、この感覚を
今はもういっぱいに感じておきたい
意識をしたら消えていってしまうと、わかっている
そう思うとともに、消えていく
だめ、いかないで
いかないで
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意識は自分の左側にゆっくりと移っていき、目が覚めた。
泣いた。
大好きな奏くんだった。鏡に向かって自分に変顔をして自分で笑ってる、よく見ていた大好きな奏くんの姿そのものだった。
やっぱり昨日のは奏くんだったんだ。だから夢にも出てきてくれたんだ。
23:04
今日はずいぶんと、自分の奥底が安定していると感じる。
なにより今朝の夢だ。
そこに仕事と未来。
新しい大きめの仕事の話に、不安だった別の仕事はうまく流れ出して行きそうな知らせ。ここ数日追い込んで出した提出物はOKが出そうだ。
加えて、Calvinとの会話に、未来にワクワクできそうな気配を感じた。そんな気配は、あれ以来初かもしれない。
これらが相まって、こんなにも安定した気持ちになっている。
明日こそは、スナフィを長い散歩に連れて行ってあげよう。追い込んだここ数日の忙しさの皺寄せはスナフィに行っている。本当に申し訳ない。
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私がメタモルフォーゼ(生物学で「変態」の意・生まれ変わる)するためのコクーン。つくるための生糸は、自分を守るために、生きるために、ここに滔々と書き出している言葉の羅列かもしれない。
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奏くん。きっと今夜は、夢に出てきてくれないだろう。でも…、本当に本当に、あなたが恋しくて、会いたくて仕方が無いよ。
夢にしか、眠っている間にみる夢にしか、この希望をのせられない。
そう、しかも今日は恵比寿だった。
打ち合わせを終えて、恵比寿駅東口から自動改札に入る。ホームに向かって流れる景色。左側にあのお手洗いが見えるのを、見逃すことはもちろんなかった。
10年前の、あの夏の日。
サンディエゴから帰国して二年。久々に会った女友達とは、あの頃の話しやお互い帰国してからの近況などで盛り上がった。日本で会うのは初めてだったから、なんだか妙な感覚だった。彼女の携帯が時折鳴り、その都度やり取りをしている。
「男友達が合流したいって言ってるんだけど、どう?ひとりはサンディエゴにいた人だから話しも合うと思うよ」
「いいんじゃない?」
待ち合わせ場所の恵比寿駅。構内の左側にあるお手洗いで、念入りに化粧直しをした。待ち合わせ時間を大幅に過ぎて駅に到着したというのに。
西口の待ち合わせ場所には、大きな身体を丸めて携帯を見る男性がロッカーに寄りかかって立っている。
「小西くん」
不機嫌そうな顔に強い視線が、こちらを向いた。その大きな目と、目が合った。(散々待たされて「もう立ち去る直前だった」と後に言った。)
奏くんに初めて会ったあの日。あの姿。あの目。
あのお手洗いから目を反らして、ホームへと歩調を速めた。しばらくは恵比寿に通うことになるだろう。せめて、クライアントの会社が東口で良かった。西口には、あのロッカーには、近づかずにおける。
あの強い目は、まだ私を見つめている。