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たとえば隕石が、たとえば大地震が、たとえば原因不明のなにかで、今の住環境にもうすぐ終わりが来るとする。圧倒的な恐怖のなか、奏くんのいない今、私はひとり最期を迎えるのだろうか。
想像しようも思考停止するけれど、でも、それで奏くんに会えるのならば、それもわるくはないかもしれない。
「奏くん」
声にするより、心で呼びかけるほうが圧倒的に増えてしまった。
それは、呪文のような、記号のような、霧のような、風のような。
それは、以前のそれとは姿が異なるかもしれない。
「奏くん」
届く先には、もう実体が無い。目眩がして、目を閉じる。なんだそれ。喉が詰まる。なんだよそれ。ゆっくり息を、吸って、吐く。目を開ける。吸って、吐く。吸って、吐く。
実体の無い存在を、変わらずに愛し続けることができるのだろうか。
「奏くん」
声にすることが、心底こわい。
その音が、その波動が、届く先のないままに、消えたり、漂ったり、こだましたり、反芻したり、増幅したり、滞留したり、まとわりついたり。
耳が、皮膚が、毛穴が、目が、粘膜が、それをまた取り込んでしまうのがこわい。
その行方が、行く末が、心底こわい。
声には出せない。
内に溜まっていくこれを、いったいどうしたら良いのだろう。
大切にする場を、用意してあげると良いのだろうか。それとも底の見えない池とか沼のように、そこに溜まっていくそれと共にするしかないのだろうか。
蚕は、その繭をつくるために新鮮な桑の葉をむしゃむしゃとせっせと食べて糸をつくり、その中で変態する。メタモルフォーゼ。
私も、繭の中にいる。そしてその内にも、繭をつくる。
春がくるまで。
私にとっての桑の葉は、なんだろう?