12:39
もっと生きたかっただろう、無念だったろう。そう思うことは苦しみをもたらす。
「奏はやりたいことやって、短い人生だったけど幸せだった」
義母のあのいつもの笑顔で、自信を持ってそう伝えてくれたその言葉が、そんな気持ちになってしまうときの支えになっている。
17:22
昨日、今日、と、夕焼けがとてもきれいだ。
夕方の散歩、茂原公園からの帰り道。焼けた空と雲がとてもキレイで、危ないと思いつつ、運転しながら何度も見惚れてしまった。
夕焼けは、奏くんを思い出す。
奏くんは「サンセット」が大好きだった。
19:41
こういう時がやってくるとは知らなかった。
奏くんの祭壇を、遺影を、写真が目に入ると、顔を背けてしまいそうになる。そこにあることがわかっているから、そこを見ないようにしてしまう。
いきなり「否認」のステージがやってきたみたい。
見たくない、感じたくない。「否定」という言葉は強すぎるけれど。
はーーーー
ダメだ、この感じはこれまでなかった。
ニケツでも流しながら、ワイン飲みながら、お皿を洗って、ごはんを作ろう。
冷蔵庫の写真…、外す?どうしたら良いんだろう…
ニケツ流してから考えよう。
23:04
この書き溜めたものを形にしたい。そう思って見返してみたけれど、だめだ、辛い、涙が溢れてくる。特に、8月17日あたりまで遡って、意識が戻って目を開けて、でもまだ現状が認識できていない頃のが…。
今は、無理をしないでおこう。
ここまで、いろんな時期があったように、いろんな変化があったように、きっとこれからも変わっていくはず。きっとまた、写真が見れるようになるはず。だから、無理に、なんとかしないと、とか、焦らなくても良いよ、きっと。
もうすぐ、また月命日がやってくる。1日が来る。1日が来ることに、気持ちが沈む、エモーショナルになるのを感じる。まだ、二ヶ月がやっと過ぎようというくらい。
まだまだ。
時間がかかるのは当たり前なのだから。