11:02
今日もまた、9月1日の午後10時半頃から2日の未明を、反芻する。まるで毎日の日課だ。
「今」がなぜ、この「今」なのか。「今」を「そこ」と繋ぎ直して確認する、その作業。
次に、「今」に意識を向ける。どうしようもない違和感、しかない、「今」の自分。
だから、あのシーンを反芻して、だからもういないのだ、と、決して変わることはない現実を見つめる。息を吸う、息を吐く。受けとめる。
毎日。何回か。
そうしないと、すぐわかんなくなっちゃうから。
そのシーンを反芻することは、岸壁につながっている船を繋いでおく鎖のようなもので、それを触り、それを手繰り寄せて、今の現実を確認するのだ。気がつくと、今にもゆらゆらと波に揺られ漂流し始めてしまいそうだ。
13:40
どうしようもない悲嘆。黒に近いグレーの粘土でいっぱいの地面に、足から引きずり込まれそう。
深めの呼吸を、数回。
私はここにいる。今、ここに。あなたとともに。きっと、永遠に。彼は、私の内にいる。
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Macの一般設定を開く。
目新しさにDarkにしてたけど、目の前に広がる視界が暗いのは嫌だな、と、Lightに変えた。
小さいことでも、違いはきっと大きい。
14:14
胸が痛い。
お腹の、胃の辺りに、ぎゅっと縮こまって硬くなっている部分を感じる。目を閉じて、息をそこに送るイメージで、深く呼吸をする。
15:34
猛烈に寂しい。ひとりぼっちになってしまった。「寂しさ」とかいう言葉なんかじゃ収まらない感情が溢れて、もう溺れそうで、心がざわつく。
四十九日が終わって、奏くんの遺骨も、この家を去ってしまった。
17:28
気がつけば外は暗くなり始め、16時半を回っていた。
スナフィもちょうど起きてきて伸びをして、うろうろし始めている。散歩に行かなくては。作業を中断して、上着を着て、階下に降りる。
「散歩に行こう」
半分スナフィに、半分ひとりごとのように口にするやいなや、またそれはやってきた。
涙が止まらない。
日が落ちる前に散歩に行かないといけないのに。ずっと不安定だった今日。少しずつ溜まってきていた不安と寂しさと悲しさとの悲嘆の思いが、とうとう溢れ出してしまった。遺骨がなくなった祭壇に座って、声を上げて泣いた。目線より少し高いところにいる遺影の奏くんは、ニュートラルな微笑みで目線をこちらに向けている。あの日から何ひとつ変わらない。ぽたぽたと落ちる涙が、クッションに吸い込まれていく。
でも、やっぱり泣くのは救いになるのだ。
いつしか、涙は止まり泣き止んで、少し軽くなった体で立ち上がる。
靴を履いて、玄関を出た。
暮れゆく秋の空の下を、スナフィと歩く。
すっぽり覆っていた悲嘆の感情と不安定さが、和らいでいくのを感じた。