11:22
納骨まで、あと3日。
奏くんの遺体に代わりやってきた祭壇は、奏くんの部屋の中心になった。大きな白い骨壷には、物理的に遺された最後の「奏くん」がいる。
納骨をすれば、物理的な「奏くん」といよいよ最後のお別れだ。
「奏くん」とはなんだろう。
遺骨をこのまま家に留めておくことは、なんだろう。
遺骨をお墓に納めその管理を委ね任せることは、なんだろう。
遺骨を海に散骨することは、なんだろう。
答えを出そうとしているのではない。自分の心に寄り添って、その声に耳を傾けて、自分が納得した上で、行動に移したいのだ。
きっと、このまま納骨するだろう。
けれどもその前に、その骨壷を開けたい。遺された最後の物理的な「奏くん」を、もう一度見たい、もう一度触れたい。もう一度、感じたい。
本当は、サーファーだった奏くんを海へ還してあげたい。でも、ケイくんや梨衣ちゃんが言ってくれたみたいに、それは一周忌でもいいのかもしれない。
18:00
青にセッションをしてもらう。
頭からエネルギーを外す練習として、料理でタイマーを使わない、という方法を教えてもらった。数字ではなく、身体の感覚で時間感覚を持てるように、と。
ひとり、切り離されたような一人ぼっち感を感じることについても、ひとりという個であるからこそ、「繋がり」の感覚が持てるのだと、教えてもらった。
19:57
仕事は忙しかったけれど、夕ご飯をちゃんと作った。
蒸した里芋に梅と鰹節を和えてサラダにし、鯖缶と大根を合わせて煮たものでごはんにした。お腹がいっぱいだ。
テレビの下に置かれた奏くんの写真が目に入る。
もうすぐ四十九日。奏くんと、初めてゆっくりと一緒に過ごした9月1日の土曜日。その日からもう49日が経つ、ということだ。
46日目の私は今日も、奏くんが病院での一ヶ月やその最期に感じていたであろう苦しさや辛さの想像に包まれ苦しくなっていたよ。こういう時間は、多々あるんだ。スナフィの散歩をしてたり、料理や洗い物をしてたりすると特に。
この苦しみをどうしたらいいかと、「永遠の別れ」などを読んで生と死とを学ぶ知識のアプローチを取ったり、「Eat, Pray, Love」 で学んだ、自分の内にあるやり場のない感情に心の中で置き場を作ってあげる、というアプローチを取ってみたりもする。
この苦しみは、どれだけ続くのだろう。
20:23
ずいぶんと寒くなったし、日も短くなった。
季節が進み、秋ももう中盤。冬に向かっているのを感じる。
寒い季節に、ひとりは辛いな。
スナフィがいて、本当に良かった。
21:59
ひとりで夜遅くまで仕事するなんて、これまでだって、割とよくあることだ。
でも、誰かがいるのと、誰もいないのとは、決定的に違う。
寂しい。苦しい。
この前、Yさんが家のお掃除をしてくれて知ったことだ。家に誰かがいるって、安心感が全然違う。
知らなかったことが、たくさんある。
奏くんは、いつもいつもそこにいてくれた。私はこんなに守られていた。私は、奏くんというコクーン(繭)の中にいたんじゃないだろうか。
私は本当に何も分かっていなかった。分かっていない、ということを、分かっていなかった。恥ずかしさで身が詰まる。
奏くん、聞こえる?感じる?
私、全然分かってなかったよ、ごめんね。本当にありがとう。心から、感謝している。心から、あなたの不在が恋しい。悲しい。寂しい。会いたくてたまらない。愛しているよ。
直接伝えられなかったけれども、こうしてやっと分かった今、私たちの存在が異なるものになってしまったとしても、この思いが伝わればと切に願う。
23:14
休憩を入れる。キッチンでお茶を淹れ、また二階の仕事場に戻る。デスクに座り、ふぅっと息をついて、あ、と、我に返る。そうだ、もういないんだった。頭ではわかってるのに、やっぱりどこか、うまく嵌らない。
一日にもう何度も、こうしてまた、繰り返している。
そうだった。もういないんだった。
一瞬で現実に突き落とされる。
わかっている。わかっているのに、その現実のピースが、全然うまく嵌らない。