8:20
夢に奏くんが出てきてくれた。
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病院のベッド。横たわる奏くん。顔色が、とても悪い。日に焼けた黒さではない。土気色、よりも黒い。目の下にはクマのようなライン。
わかっている。
これが奏くんの最期だということを。
だから、顔を近づけて、心を込めて、愛しているよ、と、伝える。
奏くんに届いているのかはわからない。
吐血。
もうすぐ血を吐くことも、わかっていた。
近くにあったタオルを取って、奏くんの口元にあてた。
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夢の中ででも、最期に「愛している」と伝えられたことを心から良かったと思った。
伝えたかったんだ。
愛している、と。心から愛しているよ、と、直接伝えたかった。わかっていてほしかった。
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昨夜は本当に眠れなかったんだ。気持ちがざわついてざわついて。スナフィーまで何度も吠えて、その度に目が覚めた。
22:13
発作のように、悲しみと涙の波が襲ってくる。
今朝の夢を、また思い出していた。
奏くん、奏くん、奏くん。
まだまだ、
まだ、
私は毎日、泣いて暮らしているよ。涙が、こんなにも簡単に、あっという間にぽろぽろと流れるなんて。
どれだけ後悔しても、しきれない。ごめん、ごめんなさい、もっと私が、奏くんの健康にケアを注げていれば。食べるもの、飲むもの。健康診断。
なんて自分は未熟なんだ。
愛する人をケアすることも、守ることも、本当の意味で大切にすることも、できなかった。
奏くんに会いたい。
会って、抱きしめて、あの腕に、あの胸に抱かれたい。キスをしたい。頭を撫でたい。頬に触れたい。見つめられたい。額に触れたい。腕に触れたい、手を握りたい。声が聞きたい。すべてを戻したい。側に行きたい。
どれだけ後悔しても、苦しくなるだけってわかってても、もう一度やり直したい。
あんなに愛してくれたのに。
あんなに大切に思ってくれていたのに。
私は…。
例え、愛している、と言えたとしても、例え、奏くんを目の前にできたとしても、あんな夢はもう見たくない。
でも、…もう一度、会いたい。
…やっぱり夢でも良いから、もう一度、会いたい、触れたい、感じたい。見つめ会いたい。夢でも良いから。
泣き疲れた。疲れるまで泣いた。
1ヶ月が過ぎて、ようやく毎日泣けるようになったのかもしれない。
23:42
とうとう、奏くんの携帯を解約した。
本当は、できる限り先延ばしにしたかった。
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ランチにはモスバーガーをテイクアウトして、茉奈とスナフィーと八鶴湖へ向かった。
湖畔のベンチに座って、湖面を、鴨を、向こう側の小山を見つめて、ふたり並んでモスを食べた。「本当にいいのかな」と、「番号だけ残しても、その先に取る人がいなければ」を、何度も行き来しながら。
ソフトバンクショップでの滞在時間は正味5分だっただろうか。「余計なこと無駄なことは一切せず言わず、迅速に、最速で、手続きを完了させてくれた」。その手際にいたく感激した茉奈は、その日何度も思い出しては再び称賛した。
それは、あまりにあっという間だった。
時計表示の上に小さく「圏外」の文字。
iPhoneに残された写真は。電話帳は。考えるべきことはまだある。
でも、とうとう、解約をした。
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解約した足で、夕方の散歩に茂原公園に行った。隣を歩く茉奈は、今、何を思っているのだろう。
現実味がない、と、茉奈は言った。
加えて、納骨をする49日法要に参列したいという(私達の)両親の参加を断ったやり取りに触れて(奏くんのご両親、私、運転兼ねて隆の4人のみにした)、「奏くんが治ってくれれば良かったのに」と怒りの感情があること、もちろん、仕方のないこととわかっていること、そんなことを話した。
なぜ私は茉奈に聞いたんだろう?
いったい何が起こっているのか。なんにもどこにも正解なんかなくて、ただひたすらに、よくわからない。
「それ」を認識したい、分かりたい、理解したい、掴みたい。
だから。「それ」を取り巻く人々が、何を見て、何を感じて、何を思い、何を考えているのか。これを知ることで、その中心で何が起こっているのかを理解できるんじゃないか、と、そう思っているのかもしれない。