11:20
結局のところ、電気は40Aに変えてもらった。お義母さんの助言を元に。
二人分の事務所を兼ねる自宅の電気は60Aにしていたが、今やそんなには必要なかった。
四十九日頃の予定が入り始める。
奏くんの大きな骨壷を思い浮かべる。納骨の前日には、遺骨か遺影と共にご飯にしよう。いつものように旬の野菜を焼いて、大好きだったあの豚しゃぶにビールを出して、スナック零をやろう。
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遺された家族がやるべき多くのこと。携帯の解約はその中でも最大の抵抗感を感じるかもしれない。
この番号を失うということ。
いつだって奏くんと繋がっていたそのラインが、消滅してしまうということ。
その番号にかけても、もう奏くんは出ない。番号を残しても仕方がない。それは分かっている。
ただ、その番号を、その繋がりを、自ら消滅させる行為を取る。想像するだけで、辛くて苦しくなる。
番号を残し支払いを私のカードに変える、という案も出た。それはあり、だけれど…
そもそも、解約の手続きはどのようなものになるのかを調べてみる。どうやら、店舗でなければ手続きができないようだった。
契約者死亡に伴う解約の手続き方法を教えてください。 | よくあるご質問(FAQ) | サポート | ソフトバンク
店舗で、知らない店員さんに、事情を話し解約してもらわなければならない。
ひとりでは無理だ。来週には茉奈が来てくれる。その時にしよう。
15:06
仕事への集中力とパフォーマンスが最も高く保てるのは、約25分間だ。タイマーをかけずとも、疲れに気づき時計を目をやると、大抵25分を過ぎている。これはポモドーロタイマーという手法でもあって、私の仕事のリズムと合っているので。25分を1ラウンドとして、合間に休憩を入れる、その組み立てで日々在宅ワークをしている。
3ラウンド仕事をして、15分の休憩を取りに、リビングに降りお湯を沸かす。
突如として「現実」が降りかかってくる。もういないのだ。ここにはもういないのだ。
空気が重い。
前向きに。新しい生き方を。片付けを。処理を。否応無しに過ぎ行く時間。外的な要因に動かされて、物事は進んでいく。変わっていく。時の流れた分だけ。
でも、現実は、事実は、私をぐいっと引っ張って、またこうして息を詰まらせる。
いない。もうここにいないし、どこにもいない。物理的には。心の中にいても、今後その存在が、更新されていくことはない。その事実が、心と体にのしかかって、呼吸が苦しくなる。
その事実を、こうやって時間をかけて受け入れていくしかないのだろうと、頭ではもちろん理解している。のだけど、「いない」という事実を日々目の前に突きつけられて、苦しくなって、何らかのかたちでそこに反応して。これを、何度も何度も、これからも繰り返していくのだろう。
でも、
Life goes on. My life is going on.
私は、生きている。奏くんが生きたかった今を、私は、生きている。
その「不在」や「死」の捉え方、見方、在り方、は、私の中で、時と共に変化していっている。直後より、月命日を迎えて1ヶ月という時を重ねた今のほうが、その重ねたぶん、考えたり、感情的になったり、受け止めたり、周りや自分との対話を重ねたりした分、その立体的な積み重ねの分だけ、明らかに変化している。
前へ前へ、そう回転し続けるせっかちで落ち着かない多動気味な思考は、ゆったりとしたマイペースな感性や感情や心のことを置いていってしまいそう。バラバラな内部。
17:53
最近は、怒り、という感情も割合が上がってきた。
なんでひとりにしたんだ、なんでスナフィーと私を置いてさっさと。ひどいよ。ひどい。本当にひどい。
奏くんだって、ものすごく悔やんでいるだろうと想像がつく。もっと健康に気をつけていれば。ちゃんとダイエットしていれば。あの時、健康診断や人間ドックを、経済的な理由で先延ばしにしなければ…。私もだよ。悔やんでも、悔やんでも、どうやっても悔やみきれない。
怒りの矛先は、そのうち自分に向かっている。
奏くん。意識がしっかりと戻ってからは、病院で、たくさん考えている、って、言っていたね。何を考えていたんだろう。どんなことが、奏くんを思考させていたんだろう。もっと、もっと、たくさん聞いておけば…。
雨の合間を縫って、散歩に出た。家の周り。変な時間、雨の合間だから、人気がいつにも増して無い。時折襲ってくる、奏くんをめぐる様々な思い、後悔や、悲しさや、虚無感や、怒りや、そして、奏くんが、あの日々にどんなことを思い、考え、感じていたのか、それを想像してみると、まるで水の中に沈められたみたいで、呼吸が苦しくて、水面に上がりたくて、深く吸って、深く吐いて、なんとかその苦しさから逃れようとする。気がつくと、現実。
金曜日の夜。華の金曜日。前までは、奏くんがいた時は、金曜日の夜はとても楽しみにしている時間だった。今は、とても苦しい時間。とても。そしてその次の日が土曜日。天国と地獄が、いっぺんにやってきた日。明日は、骨壷も開けなくては。
でも、また1週間、よくがんばったよ、私。だから、自分のために、自分を労って、残っているじゃがいもで何か作って、ごはんを食べよう。自分のために。
なんだか、この現実と、未だに折り合いがつかない。まだ1ヶ月。当たり前だろうけど。
現実と、自分とが、うまく噛み合っていないんだ。奏くんがいない事実、現実が、なんかうまくはまらない。
そして、すでに、少しずつ薄れていく記憶。もう、私の中にある奏くんを大事に愛でるしかないのに。どうしてこんなに、私の記憶力は残酷なんだ。
私がバラバラ。
18:43
じゃがいもを蒸した。レンジではなく。奏くんはいつもそうしてたから。今の私の一部は、奏くんだ。
19:13
築地が明日、最後の日を迎えると、NHKの7時のニュースで知る。
築地が終わる日を、奏くんは知らないんだ。そしてきっと、平成が終わる日。そして、オリンピックでサーフィンが開催される日。奏くんが、とてもとても楽しみにしていた日。
ここから先も、こうして、奏くんの知らない日々が、奏くんがいた日々と違う世界に変わっていくのが、ものすごく痛い。痛い。痛い。
世界が少しずつ、でも確実に変わっていく。奏くんがいた日々から。受け止めて、受け入れていく以外にない。私は生きている。変わっていってしまう世界で。
20:17
いつか、すべてのものにいつか、この世界を去るときが訪れる。たったひとりの、私を含めて。
友人に恵まれていることを、本当に幸いに思う。
特に、独身で、自由のある友達。家族、特にまだ小さい子供がいる場合、大切な友達の側に行きたくとも、今の日本では、難しい。働いている旦那さまに、小さい子供は任せられない。週末しかない。だけど、週末は週末で、運動会や、旦那さまの接待や、そうでなくとも、そもそも保育園がおやすみだし旦那さまもお休みだしで、余計に忙しい。大切な友人が、悲痛に暮れているときに、力になりたいと思うからこそ、本人の辛さを考えると余計に辛い。でも、同時に、話す内容も難しい、と、正直思う。目の前で繰り広げられている世界と、今、その友人が置かれている状況とが、あまりにちぐはぐなのだ。
22:52
奏くんの黒いTシャツしか着ない期間は終わった。
今は、寝る時に、奏くんのTシャツで寝る、ということ。包まれて眠りたい。という気持ち。
自分の健康も、不安になってくる。胸にしこりを感じような気がしちゃって、週明けに病院に行こうと思う。これで自分が何かあったら、と思うと、さすがにそれは不安しかない。
23:29
これは、誰に対して書いているのだろう
たぶん、自分のため、まずは。忘れたくない。この日々を、とにかく忘れて生きていくのはいやだ。
そして、誰しもに起こる、死、という現実。そして、大切な誰かの死。その時、どうしたら良いのかなんてない。でも、私というひとりの人が、何をして、故にどうなって、何に救われて、少なくとも今日まで、ちゃんと生きていっているのか、何らかの参考例になればと思っている。私自身が、同じ経験をし少し先に行っている人のブログに、大いに救われてきているから。