8:12
日付を見るのが苦しい。あれから二週間。二週間前の土曜日、九月一日。人生が一度「おわり」を迎えた日。「重篤な状態を脱したので大部屋へ移動」という喜びの知らせから、たった数時間後の暗転。大きな力で人生が一度断ち切られたような、最も残酷な一日だった。
今朝の夢には奏くんが出てきた気がする。はっきりとは思い出せない。目を閉じる。なんとか夢を、新しい接点をたぐり寄せようと。でも、何も掴めない。代わりに、彼の身体を思い出してみる。ふんわりとしてでも芯のある大好きな身体。もう決して触れられないことを、一ミリの疑いもなく理解している。病院のベッドで毎日触れていたあの感触。冷たくなってからも、まだほんのりと残っていた冷たくない部分の感触が、今もこの手に残っている。
二人の、なんでもない、かけがえのない日常を、もっとたくさん動画や写真に撮っておけば良かった。心から後悔している。
リビングから義父母の声が、テレビの音が、聞こえてくる。愛するパートナーを失うことと子供を失うことは、同様に身を引き裂かれる辛さであるだろう。でも、その痛みの性質やもたらすものは、きっと「同じ」ではない。ここ奏くんの実家に、彼が「いない」ことは、確かに彼らの日常だった。義母は「奏はまだ、零ちゃんの元にいる気がしてるの」と言い、その言葉はたしかに私の救いとなっている。でもここ実家には、いや、この義父母の元には、物理的な存在以上の「奏くん」がいる。義父母の揺るぐことの決してない絶対的な愛。だからだろう。
救急車の音が遠くに聞こえて、途端に息が苦しくなる。「だから日本から出た」と、最愛の人を亡くした友人は言った。わかる気がするんだ。とても。
25:22
飛ぶように時が過ぎていく。土曜日がまた終わった。ひとりになるのが怖い。ひとりで向き合うのが怖い。溺れてしまいそうで、壊れしまいそうで、怖い。
奏くんの骨粉を、身体に入れたい。私の一部に、物理的にもなってほしい。
真っ暗な圏央道を進む実家からの帰り道。ふと考えが過ぎった。義父のDNAをもらえば、少しは「奏くん」を持った子供ができるのではないか。いやむしろ、義父母がもう一度子供を産んでくれれば、また奏くんに近い存在が生まれるのではないか。間髪を入れずに、そんなことを考えた自分に猛烈に腹が立った。これだけ時間があったのになぜ、子供をつくることに一生懸命にならなかったのか。本当に腹が立った。激しい憤りに、顔や身体までもが熱くなった。
「通常通りに暮らすことが一番」と義父は言った。私の「通常」は、もう戻っては来ない。もちろん口にはしなかったけれど。自宅に帰り着く。先週もらった白いトルコキキョウがキッチンカウンターの上で凛と咲いていた。