19:29
仕事から帰りテレビがついていると、私は決まって不機嫌になっていた。明らかに嫌な顔をしていただろう。視線を合わせずに奏くんは手早くテレビを消す。とは言えそんな光景も、数えるくらいしか記憶には無い。
ひとりっ子で鍵っ子だった彼にとって、テレビの発する音や映像は生活の一部だった。仕事中も食事中もBGMのようにテレビがついている。付き合い始め、私はそれに驚いていた。実家にテレビが来たのは十一歳のことだし、以降も自由には観れなかった。結果として、「テレビがついている」と「テレビ画面にロックオン」はイコール。本当に観たいものしか観ない。という大人になった。
ふたりの暮らしの中でいつの日か、奏くんがその習慣を変えていった。ひとり家にいるときにはテレビをつけ、私が帰ってくる前にはテレビを消すようになったのだろう。消し忘れてしまった、たった数回を除いて。
奏くん。あなたがいつだって家にいてくれたから、わからなかったよ。この家にひとりでいると、寂しいね。テレビとか、人の気配が欲しくなるよね。その寂しさを、その気持ちを、分かろうとする優しさも余裕を持ち合わせていなかった。本当にごめんね。たくさんの「ごめんね」があるよ。過去に戻って、もう一度やり直せるならば。でも、叶わないこともよくわかっているから。だから、… ごめんね。
一体、これからどう日々を暮らして行ったら良いのだろう。途方に暮れそうだ。今はこうして友人や家族が代わる代わる訪ねて来てくれて、心配して連絡をくれて、いろんな形で側にいてくれる。みんなが少しずつ日常へと戻って行く頃、この広い家で私はひとり、どうしていくのだろう。…考えても辛くなるだけで何にもならない。考えるのはよそう。
一緒にいた何でもない日々のあれやこれが、いっぱいに広がる。もっと感謝できていたら。もっと心から堪能していたら。もっと奏くんを気遣って、もっと一緒に楽しんでいたら。後悔で苦しい。
でも、「でも」ばっかりだけど、前に進む以外に無いことも、頭ではよくわかっている。
私の「日常」。いつものリビング。でも、決定的に違う。奏くんの気配がない。空気が沈んでいる。圧倒的な静けさ。圧倒的な空虚感。こんな中でひとりでごはんを食べるとか、どうしたらできるというのだろう。
明日は、何の予定もない。そう思った途端に苦しくなる。あ、違う。夜には梨衣ちゃんと、共通の友人でご近所さんのさんが来るかもだった。良かった…。ひとりで夜に家にいる。そう想像したその一瞬に身体が強張る。だけど。まずは一晩、越えないといけない。その一晩を重ねて行くしかないのだから。
21:18
奏くんのiPhoneに入った写真を見る。ここ最近のものは少ない。葉山に住んでいた頃のたくさんの写真を巡る。楽しかったな。たくさん出かけて、たくさんのことを一緒にした。なんでもない毎日が、楽しかった。
22:29
泣く、泣く、泣く。ただひたすらに悲しい。冷蔵庫を開ける。いろんな種類のヨーグルト。奏くんのためにあの日買ったもの。食べよう。胃を保護しないと。健康でないと。自分の身体は、自分で守らないと。金麦を開けて、昨日茹でた落花生を並べる。小さな遺影の前に。今年の落花生、まだ食べてなかったよね。