8時過ぎに目が覚める。涼しい。25度と気持ちの良い気温に、空気もカラッとした、初の秋日。ゆっくり散歩できそう、と、起きてすぐに出かける。気配を察知して大喜びのスナフィ。パン屋さんで野菜サンドを買って森公園へ向かう。いくつかの田んぼで、稲刈りが始まっていた。
帰宅してシャワーを浴びる。ドアの向こうには、お風呂場には決して近寄らないはずのスナフィの影。ドアを開けると一目散に入ってくる。風が強いせいで家がやたらと音を立てていて、怯え切ったスナフィの尻尾がすっかりしまわれている。しょうがない。洗い場はスナフィの避難場所に譲り、私は空のバスタブに入って、スナフィが濡れないよう小さくなって髪や体を洗った。
シャワーを出て病院へ向かう準備をする。その間も、スナフィがピタリと離れない。こんなことは初めて。この状態でお留守番なんて…、ないよね…。病院に連れて行く(&駐車場の車内で待つ)しかなさそうだ。
面会
やっぱり会いに来て良かった!奏くん大好き♡
ショッキングな排泄的シーンがあっても、そう思える。愛だね。(以下その描写が少々あるので、気をつけて読んでください or 飛ばしてください)
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「トイレに行きたい」
会って早々、そう始まった。これが通常の2人の会話であれば、何でもない日常。でも、ここはそうではない。
「トイレどこ?」「どこに行ったら良いの?」と何度も聞かるが、心苦しいけどその度にこう答えるしかない。
「今は歩けないから、ちゃんとオムツしているからこのままここでして良いんだよ」
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奏くんはトイレに行くことができなかった。
ベッドに座ることも、iPhoneを持つことも、できなくなっていた。
術後に発生した悪性高熱症によって、奏くんの全身の筋肉は「リセット」されてしまっていた。
全身麻酔によって、10万人にひとりの割合で発生する非常に稀な希少疾患、悪性高熱症。
運動したときに体が温かくなるように、筋肉が収縮すると熱が生まれる。悪性高熱症では、筋肉が異常に収縮を続けるために異常なスピードで熱が上がり、それが続くと筋肉が崩壊する。奏くんの熱は術後から上がり40度を超える日が続き、ピークの5日には、42度を超えた。2万を超えると筋崩壊とされるCKの値は、その日15万を超えていた。
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「トイレに行きたい」が続く。
「今は歩けないから、看護師さんが替えにきてくれるからしていいんだよ」と今度はしっかり伝えると、納得した感じを見せる。「じゃあちょっと離れているからね」と、カーテンの向こうまで離れる。しばしして、カーテン越しに目が合う。「できた?」とちょっと間を開けて聞くと、「…やっぱり出ない、いいや」、みたいなことを言うから、「わかった」と、再び側に行く。
その後もオムツをしきりに触っている。どうしよう、どうしたら良いかな、と考えあぐねていると、気づくけば右手をその中に、そしてその手を出して顔もとに。手は汚れていた。顔や服や指につけた脈を測るものも少し汚れてしまった。顔や手はさっと拭いて、ナースコールを押す。
すぐに看護師さんが来てくれる。「スナフィの散歩に行ってくるね」、と奏くんに、「30分ほど外します」と看護師さんに伝えて、外に出た。
遅すぎた。もっと早くに、私が席を外してあげればよかったんだ…。くぅ、失敗した…。
看護師さんにあとで、「トイレ行きたい」の状況ではどうすると良いのかを聞こう。
結構落ち込んでいたけれど、青と梨衣ちゃんのメッセージで下を向いていた頭が上がる。スナフィを散歩して復活。もう大丈夫。病室に戻ろう。
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IN N’ OUT。
OUTが去って、次はIN。
「喉が渇いた」
奏くんはまだ、お水を飲むことを禁止されていた。
どうしたらミネラルウォーターを手に入れられるのか。これが面会後半のメイントピック(前半はトイレ)。ベッド頭上にある酸素が出るやつを見て、「これ水出ないの?」。「何か音楽聴く?聴きたいのある?」への返しが、「ミネラルウォーターの曲」(笑&泣)。
とは言え、今日は運動(リハビリ)を頑張ったから疲れている様子で、終始うとうと。目が泳ぐ。そしてあっという間に寝ちゃう。ふっとまた目を覚まして、「酵母菌Aと酵母菌B」の話が突如始まる(奏くんの中で流行ってるらしい(笑))。やっぱり半覚醒なんだなと、その様子を見て思う。
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あの日以来初めて、写真を撮った。2人の写真が欲しかった。
「セルフィー撮る?」というと、「セルフィー?」と。「2人の写真だよ」と言うと、思いのほか嬉しそうに、乗り気になってくれた。
この写真が、今の私の宝物だ。
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うとうとしている奏くんを眺めている。
6階の病棟から見える窓の外。目の前に見える赤十字が、ピンク色に染まった夕焼けを背負っていた。奏くん。奏くんの大好きなサンセットがきれいだよ。奏くんは眠っている。
もう日が暮れる。スナフィも待たせている。
少し目を開けた奏くんに、「そろそろ帰るね」と言うと、「いいじゃん、もっとゆっくりしていきなよ」と、引き止めてくれる。嬉しくて、「じゃあ…♡」、と、もう少しゆっくりする。と、もう目が閉じている。
しばしまた眠っているのを眺めた後、「そろそろ(本当に)帰るね」と声をかける。「家に?」と奏くんが聞いた。同じやり取りでも、昨日は「どこに?」だった。それこそお義母さんの言う「薄皮をはがすように」良くなっているんだ、と、嬉しさがじんわりと滲みてくる。
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帰り道。何度も思い出しながらニヤついてしまった。
奏くんが、「大丈夫か?」と、聞いてくれたんだ…!
奏くんが日々私にかける言葉No.1、「大丈夫?」。一日に何度、聞いてきていただろう。たとえ奏くんがベッドで眠っていても、その隣で本を読んでいる私が体勢を変えただけで、眠りながら「大丈夫?」と聞いてくる。(マンネリ中は、「大丈夫?」を聞くのが嫌になるという今思うと超絶バチ当たりなときもあった)
3週間ぶりに聞く奏くんの「大丈夫か?」の言葉。驚きと共に、言葉にならない大きな嬉しさが身体中に広がって行った。「うん、大丈夫だよ」、と、噛み締めながら答えた。
その時の感覚を、何度も何度も味わいながら、真っ暗になったいつもの田舎道を、スナフィと帰った。