病院での1ヶ月

術後悪性高熱症

08:14

もう5日目なのか。

仕事に向かう茉奈を駅に送って帰宅。日曜日のこの時間は空いていた。

スナフィが昨日1日ごはんを食べていない。「ごはん食べないと」とスナフィに言う自分が、ごはんを食べれてないという説得力の無さ。それでも今朝は、茉奈が朝食を作ってくれて、レタス、枝豆豆腐、トマトとソーセージを卵とチーズでスクランブルにしたもの、バナナミルク、を食べれた。良かった。

睡眠もあまり取れていない。寝れて6時間。私には少ない。

どれだけ奏くんに支えられて生きてきたのか、痛いほどに感じている。

日々の生活はもちろんのこと、精神的に、すべての根幹には、奏くんがいた。奏くんと楽しむとか、奏くんに話したいとか、奏くんといたいとか、奏くんと食べたいとか。

このままではいけない。

せめて、ちゃんと寝て、ちゃんと食べれるようにしないと、体がもたない。

14:54

午前中の面会は3人だった。奏くんのご両親と私と。

昨日の気が動転した私の電話を受けて、ご両親は昨夜、食べ物が喉を通らなかったとのこと…。申し訳ない…。お昼ごはんは食べられていたようで、本当に良かった。

心配かけてしまって本当に申し訳なかった。でも昨日は本当に、気が動転していたんだ…。

「(術後)悪性高熱症」を発症している、ということが、わかった。

重症の熱中症のようなもので、全身麻酔症例10万に1-2人での発症。医者人生でもひとりふたり見るか見ないかの稀さとのこと。遺伝性ということで、ご両親はS先生から病歴のある親族がいないかと聞かれていた。

体温は昨日、42度にまで上がり、全身冷却に加えて一時的な人工透析をし、36度まで下がったとのこと。

筋肉が壊れている値が検知されていて、腎臓と肝臓に影響が見られる。

健康な人であれば、尿の量は1日に体重分出るらしい。奏くんは100kgだから100ccが妥当であるところ、10ccしか出ないとのこと。

「筋肉の動きを止めるものを入れているので動かないです」と教えてもらう。「動かない」。動かない。

昨日に引き続いて、顔は土気色で、耳もなんだか赤黒く、皮膚の状態も2日前に比べると良くない。と、私は思ったのだけど、奏くんのお母さんは「気持ち良さそうに眠っちゃって」と言っている。
そこに何を見るのか、は、その人次第なんだな、と思った。

なので、変に解釈をする前に、悪性高熱症について調べてから、先生に聞こう。

悪性高熱症とは、遺伝的に筋肉の収縮をつかさどるカルシウムがその貯蔵庫から細胞内に遊離する機能が異常であるために、全身の筋肉が異常に収縮を続ける疾患です。この疾患は、遺伝的な素因を持った患者さんが吸入麻酔薬や脱分極性の筋弛緩薬などで麻酔したときに起こる、非常に希な疾患です。麻酔をかけないときは特に症状もないため、一生知らないで過ごす方も多くいるはずです。
(中略)
全身の筋肉が異常に収縮し続けているため、体が硬直した状態になっているという異常事態です。体温が急上昇して40℃を超える事も珍しくありません。筋肉は異常な収縮を続けると筋細胞が壊れ、筋細胞内にあった物質が血中にたまり、腎臓での排泄が間に合わず、腎臓に障害をきたすことがあります。その他にも血中が酸性になったり、カリウムの値が高くなったりして生命が危険な状態になり得ます。
(中略)
発症頻度は、全身麻酔10万人あたり1-2例とされています。年間に1,000例の麻酔をかける麻酔科医がいたとしても、100年に1-2例しか経験しないため、ほとんどの麻酔科医は一度も悪性高熱症の経験をしないことになります。

希少疾患への挑戦7 全身麻酔の時だけに発症する希少疾患 - 悪性高熱症 -
我孫子東邦病院 副院長 麻酔科部長 菊地 博達 先生

質問をまとめる。

  1. いつから高熱があったのか?(悪性高熱症の発生はいつ頃?)
  2. 尿の色はどうなってた?
  3. 術後の発生?
  4. 不整脈とかも確認されている/た?
  5. 冷却生理食塩水を投与?胃の中に冷たい水を入れて冷やした?
  6. 顔色悪い気がするけど、これはどうしてこういう顔色なのか?
  7. 腎臓と肝臓がどういう状態?
  8. 尿はまだ10cc ←どういうこと?
  9. 「数日様子を見て」← 「様子を見る」はどういうこと?
  10. 脳梗塞の程度はどう考えておいたら良いか?(いつ脳外科の先生に見てもらう予定?)

17:04

面会まであと25分だ。

ICUの面会は、午前11時15分からと、午後5時30分からの各回45分の2回のみで、その間隔は、5時間半。

日赤のある成田から自宅のある大網は下道で1時間。一日二往復は辛いので、この成田での5時間半をどうしよう、ということになる。

マッサージ行こう、と日赤の周囲にあるマッサージに数件電話をしてみたものの、どこもドロップインできず。残念。代わりに20分ほど車内で仮眠を取った。

というか、「仮眠を取れた」、寝れたんだ。

人工透析で高熱が下がり平熱になったことで、ここに来て初めて、小さく安心したんだと思う。

一難去って、で、次は脳梗塞とかが登場してきたけれど、規模が小さいからか、まだそこまでの危機感はない。

今日はちょっとゆっくり寝て、明日は夕方に来よう。体力がないと。
ちょっと限界に近づいている。
茉奈とお風呂に行くのも良いな。
暑いけど…

19:26

執刀医W先生が、面会中とその後に十分に時間を取ってくださったので、質問をもとに話を聞いた。以下メモ(メモはその時のままなので、読みにくい部分もあり)。

「術後は良好」と言える。

その上で、悪性高熱症について。

  • 原因について。現時点では何が原因かは特定ができていない。急性高熱症は吸引から、とあるけれども、今回は点滴だった。ただ、頻度は相当低く、でもしばらく使っていた。麻酔以外にも考えられる。体の筋肉が壊されて。高熱症が疑われたのにタイムラグがある。丸一日、または2日目から。
  • まだピークは超えていない。
  • 筋肉の中の物質?酵素?が異常に高い。心筋梗塞の場合それは5,000-6,000なのに、今回は15万くらい。とはいえ、心臓だけでなく全身の筋肉がやられているし、筋肉量が多いので。CTでは特に認められていない。
  • 平熱を維持し、採血で確認ができ、ピークを超えたと判断できたら体温管理を脱せる。
  • 尿について。相当悪影響を受けている。0では無い。少ないながらも途切れない。
  • 肝臓については、筋肉で検出される値と被っているので判断がつきにくい。
  • 顔色が黄疸気味については、手術からすると通常の範疇。
  • 脳梗塞の件をどう考えておくべきか、については、おそらく発生から時間は経っていない。術中でもない。最初のほうは手足が動いていたから。MH(悪性高熱症)中に発生か。明日以降もCTを取る。
  • 心臓外科医がこれに出会うことがあるんだレベルの稀さ。
  • ICUの先生はまだ経験があるので一緒にやっている。手探り。なので今後が見通せず。

今日午後の面会時の、奏くんの様子。

「手足が冷たいので」と、看護師さんが湯たんぽで温めていた。手を握ってみたら、本当に冷たかった。なんだか、いつもの手と違っていて、…ゴムみたいだった…。指の先にいくほど冷たくて、温かくなりますようにって、きゅっと握った。

心臓の管は抜けた!出血が収まった、とのこと。「ポジティブなこともありますよ」と、看護師さんが教えてくれた。優しい看護師さんで、「相談できる人はいますか?」とか、成田までの運転のこととか、いろいろと気にかけてくれた。本当に、どれだけいろんな人たちに支えられていることか…

昨日は本当に落ち込んでいた。

たぶん、「死」が、ちらついたから。

命を脅かすほどの高熱が続き、「悪性高熱症」という病名がついた。その上、腎不全や脳梗塞など新たな病名も登場。
そして、たぶん何より、奏くんの姿が、精神的にくる。顔は見たことのない土気色で、目はうっすら開いていて、濁っている上に黒目に生気がない、どこを見ているのかわからない。耳はもっと土気色で…。

今日の状況を、思い返してみる。

  • 腎臓。相当悪影響を受けているとのことだけれども、尿の量は、少ないが途切れない
  • 脳梗塞。まだわからないけれど、少なくとも術後すぐは手足が動いていたということと、写っているものもまだ小さい
  • 高熱が下がった!筋肉や腎臓やの状態がまだ見通せなくとも、一番の要因であった高熱が下がった、ということがどれだけ大きいことか
  • この悪性高熱症を置いておけば、だけど、「術後は良好であると言える」、と先生が言ってくれた

まだまだピークを越えたとは言えない。それでも、状況は変わっていっている。良くなってきている。先生方や看護師さんたちは手を尽くしてくれている。

この奏くんの急性期に、自分の「急性期」は越えた、一山越えた気がする。

どうやったら戻ってくるか分からない、と思っていた食欲も、夕方の面会以降、戻ってきた。眠気も、15時頃には戻ってきていた。

気分が全然違う。昨日までは、「死」がとても近くにいた。でも、今日は、それが違う。なんでだか分からないけれど、「大丈夫」だと思える。

茉奈の、「信じる」、という言葉。昨夜の私を心配して来てくれたご両親。そして、熱が下がったこと。そこに、自分で調べて先生に話を聞いて状況を理解する、という、自分の事への処し方が立ち上がってきて、それに協力的な執刀医の先生がいて下さること。

まだまだ予断は許さないけれど、でも、信じる、という強さは持てるようになったかもしれない。

専門病院から成田日赤までの救急車の中で、足元にいる私に向けて上体を少し起こして、「大丈夫?」と小さく聞いた奏くんを思い出す。

鎮痛剤で、痛みは収まっていると先生に伝えていたことを覚えているけれども、あの時、どれだけの不安を抱えていたかわからないのは奏くんだっただろうに、私は自分の不安でいっぱいになってしまっていて、少しでも安心できるようなことをしたり言葉をかけてあげられなかったことを、悔やんでいる。

もし本当に、その頃の記憶が残らなくて、その時の事、特に地獄のような痛みのことを忘れることが出来るなら、それは悪いことではないかもしれない。

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