03:50
18時半に始まった手術。
予定終了時刻は、午前2時半。
病院に戻ってから、お義母さんと私は家族室で、お義父さんは家族待合室で、それぞれ仮眠を取っていた(気がするが、思い出せない。いずれにせよ、家族室にはベッドが二つしかなかった)。
持たされていたポケベルが鳴る。
手術が終わった。
午前2時半。予定通りだ。
手術室へ急ぐ。
暗い廊下の先に、明るい手術室。
扉が開く。
執刀医の先生を筆頭に、6人ほどのスタッフがこちらに歩いてくる。彼らの真ん中には、大きなベッドのようなストレッチャー。麻酔で眠っている奏くん。
ご両親とともに、その行列についていく。
ICUの前で、セットアップが完了するのを待つ。
真夜中の病院。
準備ができたと呼ばれ、中に入る。
暗いICU。
ベッドの脇で、静かに執刀医の先生のお話が始まる。
特に問題無く手術が終わったとの事。
一点だけ、肺がまだ上手く酸素を取り込めていない、と。まだ80%の濃度の酸素が必要。その可能性については、先生から手術前に予告されていた。180cmの身長に対して100kgの身体。「体の大きさ、胸とお腹によって、仰向けで寝ていること自体が圧迫する」。
「それ以外は問題が無い」と聞き、安堵する。
大動脈が裂けた場所についての説明ももらう。弓部のちょうど上のほうで、そこから両サイドに裂け目が広がっていったとのこと。その裂け目自体は切除出来なかった(場所的に非常に難しい)けど、上行部分(心臓から出て上に上がっていく部分)は切除して人工血管に替え、下に向かう下行部分はステントグラフトでの処置をした、と。
「その(弓部の)裂け目自体は切除できなかった」ということが何を意味するのかしないのかが、全くわからなかった。
執刀医の先生の言った「このまま麻酔で眠り、ICU面会時間の11時15分の回に会う、で良いと思う」に従って、面会時間まで家族待機室で休ませてもらうことにする。帰宅して寝てまた来る、という選択肢もあるけれど、面会時間は45分しかないし、往復2時間の運転(しかもずっと下道)をするより少しでも寝たほうが良さそうだ。
ご両親は一旦帰宅して、面会の時間に合わせて戻って来る事になった。
2人を見送りに、夜間用の玄関を出る。東の空が明るくなってきていた。夜が、明けようとしている。
1日が終わったんだ。
奏くんを病院に連れてきたりご両親を呼んだり、「零ちゃんじゃなきゃできなかった」と、今日1日の私の苦労をご両親が労ってくれる。そしてお義父さんが、「奏は幸せ者だ」と、笑顔で言ってくれる。
後悔と申し訳なさで今にも潰れそうだった心に、それがどれほど嬉しかったことか。
お義父さんはこの12時間くらいの間に、横浜から成田、成田から大網の往復、と、6時間も運転し、しかもほぼ寝ていない。からの、成田から横浜。…とても不安だ。「来てもらって良かったのだろうか」見送りながら、そうよぎってしまうほど、不安だった。でも。ここで休んでも辛くなるだけかもしれない。体も休まらない。引き止めることはできなかった。
ひとり家族待機室に戻る。
「地獄」と言っていた痛みに耐える奏くんが、ひたすらに思い出される。整形外科なんかに連れて行き、遠かった上に、やたら待った。いたずらに時間を消費したことで、大動脈の裂け目が足までに及んでしまったのだろうと思うと、悔やまれて悔やまれて心が潰れそうだ。
明日、というか今日の11時15分の面会で様子をみて、これからどうして行くか、そこから考えよう。まずは寝ないと。
ご両親が、無事に自宅まで帰り着きますように。
神さまがいるなら、心から神さまに祈りたい。
そして、奏くんが、奏くんの体が、無事に正常を取り戻していけますように。
奏くんがんばれ。私はここにいるから。
10:45
面会の時間まであと30分。
一階にあるドトールで、ホットドックとアイスカフェラテの朝食をとってみる。
こんな緊急の時に、目の前には、画面にひびが入り半分真っ黒になったiPhone。昨夜、手術を待つ間に落として画面が割れてしまった。思いつく限り、最悪のタイミングだ。タッチもタイプもできない。けれども、不幸中の幸い、Apple Watchで電話の応答や音声でのやり取りはできる。持っててよかった、Apple watch。
スナフィはどうしているだろう…。初めてのひとりの夜を過ごさせてしまった。帰ってあげられなくて、本当にごめん。
今日の夕方は、ゆっくり散歩をしてあげよう。
午前10時くらいに、お義母さんから電話がある。
「明るくなる頃に無事着いた」とのことで、本当に良かったと安堵。
見送る時にはあんなに心配していたのに、電話があるまでそのことを考えず連絡もせずなんて、…私の頭はどうなっているんだ。
奏くんのiPhoneとお財布が、私の手元にずっとある。結婚指輪すらも。違和感しかない。「非常事態」。「家族」として、手術の同意書にサインした時のあの感覚を、また思い出す。
14:19
家に帰る。
スナフィに会う。スナフィ大興奮。
思いっきり泣く。
声を上げて泣いた。
初めてのひとりの夜を、スナフィはどこで寝たのだろう。どう過ごしたのだろう。
大動脈解離について調べる。
緊急手術を行わない場合は「48時間で50%が死亡」するという非常に重篤な疾患であることを、初めて認識する。認識し始めていた。
病院着前死亡は61.4%に及ぶ。発症から死亡まで1時間以内7.3%。1~6時間は12.4%、6~24時間は11.7%であり、病院着前死亡とあわせると、93%が24時間以内に死亡したことになる。
上行大動脈に解離が及ぶStanford A型は極めて予後不良な疾患で、症状の発症から一時間あたり1~2%の致死率があると報告されている。
【ダイジェスト版】大動脈瘤・大動脈解離診療ガイドライン(2011年改訂版)4. 統計、疫学 – 4. 突然死例にみる大動脈解離
「93%が24時間以内に死亡」。
「背中が痛い」が、午前9時頃か。手術が、18時半。
その間、…9時間半。
思考が、静かになるのを感じる。
よくわからない。
調べ進めれば、それだけじゃない。合併症の危険性もあるらしい。
意識がそのまま戻らなかった人の話。
何もする気になれない。
あの時、もっと早くに市立病院に連れて行ってあげていれば…
胸が苦しくて潰れそう
このまま意識が戻らなかったら
先生は今のところ大丈夫と言ってくれたけど
合併症で、脳梗塞などを引き起こしていたら
18:58
奏くんがいないと寂しいよ。本当に寂しい。
私が家にいて奏くんが家にいないことなんて、これまであったのだろうか。
在宅で仕事をしている奏くん。とにかく家が好きで、千葉に引っ越してからは、もう友達と遊びにも出かけなくなっていた。
奏くんが家にいなかった日。数えてみたら、たった3回くらいだった。
いつだって、いつだって、奏くんは家にいた。大好きな、家にいた。
スナフィがいて良かった。でも、スナフィも、奏くんがいなくて寂しいと思っている。
こんな日々を、ここからどう過ごそう
今は考えたくない。ストレスが強すぎる。
ごはんを食べないと。と思うけれど、ごはんを食べるということがとても億劫だ。
せめて奏くんと会話ができれば。奏くんが戻ってくる日に向けて、日々を頑張れると思うのだけれど。
これが、まだ2日目だなんて。意思疎通が取れなくなってからは初日だけれど。
19:50
ちょっとタイミングを逸するだけで、少しだけあった食欲もまたずいぶん遠くに行ってしまう。
明日、スナフィはどうしよう。奏くんが目を覚ます時には、その時はそこにいたい。絶対にいたい。
食べるということがとても難しい。
今は、家族みんなと話すことで、なんとか保っている感じだ。
あの寝室では寝たくない。辛すぎて、ひとりでなんて寝たくない。
20:44
辛い辛い辛い辛い…
今日はずっと、泣いてばかりいる
スナフィが、階段の踊り場から玄関を見下ろしている
奏くんの帰りを待っている
少しだけ白ワインを飲んでから、はっとした
もし病院から電話があったらどうするんだ
一番不安だったのは、奏くんだったはずだし
今だって、一番不安なのは奏くんなんだ
泣き崩れてなんかいちゃいけないのに
明日は目を覚ますかもしれない
ちゃんと自分を自分で支えられるように
支えなきゃいけないのに
バチが当たったのだ
時を戻せるのなら
戻せるのなら、あの朝に戻れるなら
あの苦しむ姿を見て、ただごとでないと、肉離れなんかじゃなくて、ぎっくり背中なんかじゃなくて
なんでもっとちゃんと調べなかったのか、なんで市立病院を選べなかったのか
もっと時を戻せるのなら、どうしてもっと真剣に、食生活の改善ができなかったのか
でも、過去を責めてたって、何もかわらない。かわらない。
そんなことはわかっている。
21:20
調べると落ちる一方。やめよう。
もしかするとご両親もそうかもしれない。
明日、9時には出よう。例え会えなくとも、状態を直接聞くことくらいはできるはずだ。
22:04
I don’t want to lose him. I don’t want to lose him at all.
叔母にSOSで電話をする
だれかに、だれかに、「大丈夫だよ」って、言って欲しかった
窓の外に浮かぶ月に
ひざまづいて強く手を合わせる
奏くんを、私から取り上げないでください
ごめんなさい、本当にごめんなさい、お願いします
00:05
青と、茉奈と、話す。
感情で溺れて呼吸も苦しくなっていた私を、青は、もしかして足がつくかもと、気づかせてくれる。
茉奈は、休みを取って来てくれることになった。
本当に、たくさんの人に支えられて、生きている。