8ヶ月目

ホワイトソースと白ワイン

18:36

締め切っていた彼の部屋に入るのは、いつぶりだろう。

彼のデスクで、彼の椅子に座って、彼の空間に圧倒されていた。重い空気に、込み上げる抵抗感。彼のパソコンでしか出来ない作業を終えた頃には、何かに憑かれたかのようにどんよりしていた。涙は出なかったけど、内側には鉛の雨が降っていた。

ただひたすらに会いたい。今ここで会いたい。

もう一度会えるのならば、もう二度と離れたくない。絶対に。

写真のなかの彼と目が合う。

視界から彼の写真を失くしてしまいたいと、思うことがある。冷蔵庫の扉。食卓の前。穏やかな日々の一瞬がそこにある。こちらを射抜くあの日の目線に目を背ける。

やめて。見ないで。

20:53

24cmの白い平皿は、こってり春のホワイトソース祭り。昨日作ったアンチョビ生クリームソース。パスタを茹でて、ソースにマッシュルームを加えて和える。春キャベツは1/8にカットして焦げ目が少しつくまで蒸し焼きにして、こちらもソースをかける。

祭りプレートの前に座る。白ワインをグラスに注ぐ。足元には、スナフィの温もり。またこうして、1日というひとつの区切りが終わりに近づく。

何のために生きているのか。

なんでもない瞬間に、やっぱり今日も、浮かんでくる。

何のために。

こってりと、アンチョビの香りを纏った春キャベツが甘い。くるくるとパスタを巻いて口に運ぶ。ホワイトソースのパスタを、奏くんは好んだ。トマト派で、ノンホワイトソース派だった私は今、目の前のホワイトソースに舌鼓を打っている。クリーミーに包まれたアンチョビの濃厚な旨味と塩味に、追って白ワインのフルーティーで爽やかな酸味が広がる。あぁ、美味しい。

生きている。というだけで、有難いことなのだ。それが叶わなかった人々がいる。自分にだって、誰にだって、約束された明日なんてないのだから。

.

スナフィが吠えている。物音がしたのだろうか。少し緊張が走る。

彼は良く吠えるようになった。経験ゼロのスタートから、今や週に数回、ひとりお留守番を担う。物音により敏感に反応するようになったのは当然の変化だろう。

「大丈夫だよ」。彼にだか自分にだか言い聞かせて、側に座って、スフィンクス座りから前足に頭を乗せて上目遣いに見上げるスナフィを撫でる。「スナフィがいなかったら」は、考えられない。でもひとつ確かなのは、奏くんを喪くしたこの家に残ることは決して無かっただろう。

.

奏くん。

その呼びかけが、受け取られることなく宙に浮かんでいるのは辛すぎるから、声にはしない、口に出さない。

それでもずっと、ずっと毎日、何度でも、あなたの名前を呼び続けている。そろそろ、いやもうずっと、呼びかけでいっぱいなんだけどな。

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