今日はいろんな up and down があった。
夕飯には、ナス、ピーマン、豚の味噌炒めを作る。母が前回食べたという実績がある。キュウリに塩昆布を和え、ミョウガと卵のお味噌汁、それにトマトと枝豆も添えた。母は野菜が好きだ。
思ったより食べてくれて、本当に嬉しかった。何度もそれを伝えた。
ここまでが up。ここから down。
食後の薬ですったもんだ。カロナール(穏やかな鎮痛剤)だけ飲むと、もう一錠を「もう飲まない」と言い始める。MSコンチンをだ。MSコンチンはモルヒネを有効成分とする重度の痛みに用いる強力な鎮痛剤。今まさに、白い錠剤をコップの水に入れようとしている。急いで静止すると、たぶん怒った。「もう絶対飲まない」。紆余曲折の末に奥の部屋に入っていき、身支度が始まる。
この時私の考えていたことは、ひどいものだった。
生存に影響のある薬を飲む、ということ。そして、生活の上での身の安全、ということ。これが、認知症になると脅かされる。
母を診た中核病院の先生が言った、「認知機能に障害がある場合は癌治療ができない」の言葉を思い出し、心から納得した。腹落ちした。「治療の苦しみが何に繋がるかを理解できない」人には耐えられないだろう。この苦い薬を飲むことですら、こんなにも苦労するのだから。
認知が「正常」でないことは、生命を脅かす。生存には不利である。でもそれは、この自然を生きる、ひとつの自然である人間として、仕方のないことだ。そんな、ひどい声が、私の内にある気がしていた。奥の部屋から聞こえてくる、身支度をする母の動きを全身で感じながら。
認知症の人とのやりとりは、たたかいだ。
しかし、再びの転換。再びの up へ。
お風呂場から父母の話し声が、ずいぶんと長いこと続いている。父が上手いことやったのか、母の何か気分が転換されたのか、いつも通りにお風呂の時間へと流れていた。はずが、ずいぶんと長い。
お風呂場を覗く。「じゃあガーゼは明日にしてもう寝る?」と父が母に聞いていた。
瞬時に、昨夜の出来事がフラッシュバックした。
茉奈の部屋で仕事をしていると、父が助けを求めて入ってきた。珍しいことだ。シャワー中に、母と何か諍いになったみたいだ。お風呂場の床にしゃがんだ(介護用椅子があるのに)母は裸で、「あの男」と怒り心頭の様子。胸の炎症部分をシャワーで流すだけで良いことを何度も確認して、父と代わっての初めてのシャワー補助だ。
「あの男、大っ嫌い」と息巻きながら、ボディタオルに手を伸ばしている。
炎症性の乳がんはステージ4。すでに炎症は胸元全体に及び、豊かだった胸も、何がどうしてそうなったのか今や平らになり、乳首や乳輪の姿は片方にしかない。所々、白っぽい分泌液も出ている。洗う際には、ボディタオルはNG、指先で、と言われている。
「看護師さんに聞いてマスターしているから任せて。今日は手で流すだけだから」と伝ると、思いの外すっと理解を示し、ことはスムースに進んだ。パジャマに着替えさせて洗面所を出る頃には、すでに「あの男」への怒りはどこかに行っていて、いつも通り、父の手を取って、ベッドのある部屋へと二人で向かっていった。
そんな昨夜の出来事がフラッシュバックして、「シャワー手伝おうか?」と、優しい声が自然と出ていた。
「うん」と意外にもあっさりと受け入れた母の手を引いて、お風呂場に入る。椅子に座った母を前に、手にたっぷりと泡を出して、背中、腕、お腹、と、優しく洗う。
「はぁ〜」「気持ち良いねぇ」
母は気持ち良さそうに、何度も何度もそう声を出した。身体の奥底から湧き上がってくる、この時の嬉しさをなんと喩えることが出来るのだろう。
そして、胸元へ来る。同じように、たっぷり泡を出して、優しく、優しく、指の腹で、炎症部分とその周辺を集中して洗う。
炎症部分を洗い流し、足へと進む頃、少し様子が変わってきた。とても気持ちよさそうにしているのだけれども、「ありがとう」が「ありがとうございます」と少し丁寧な言葉遣いに変わってきた。もしかすると、私を看護師や介護士かと思っているのかもしれない。でもまぁ、それはそれで良い。赤ちゃんを洗ったことはあるのか、と、そんな内容を聞いている気がするから(よく聞き取れない)、「ない」と、答える。もちろん優しく。「たぶん、きっと上手にやるよ」というようなことを言ってくれた。どこか複雑な気持ちもありつつ、気持ちが良いということなんだろう、と、嬉しくなる。
お尻を洗おうとして、腰のほうから血が流れてくるのに気がついた。動揺しつつも気持ちを落ち着けて、その出どころを確認する。母が気づかないくらいにシャワーで流しながら。どうやら、炎症部の真ん中らへんだ。小さく血が固まったところを流したところから出血している。流しても、流しても、出てくる血に、頭がぐるぐると回る。穏やかさを保ちながら、手を進めていると徐々に出血は収まる。どれだけ安堵したかわからない。
「気持ち良かった」、と、何度も何度も言ってくれて、幸せな時間だったと、心から思った。
体を拭いて、パジャマを着せて、洗面所を出る。ダイニングでお水を飲ませて、寝室へ連れて行く。母からは、穏やかで、とても良い感じが漂っていた。
汗だくになっていたので(洋服着たままシャワー補助してたから)、父が炎症部分のガーゼ交換をする間に私もシャワーを浴びる。上がってから父にシャワーを促す。私がいるときくらいは、ゆっくりとシャワーを浴びてほしい。
眠っていた母が目を覚ましたので、母のベッドに私も座った。体を起こしかけたから、母の手に触れて、ゆっくりと、優しく、軽いマッサージを始める。「気持ちいい」と、目を瞑っている。胸元と同じように、ずいぶんと硬くなった右腕と手。「かたい」と言って、指を順に折り入れてみていた夕刻の母の姿を思い出す。腕に、手に、ゆっくりと触れて、軽い力でマッサージをする。少しでも、痛みや、苦しみが、和らぎますように、と。
父が、シャワーを終えて戻ってきた。
母は、とても穏やかで安らいでいた。
「じゃあ、また明日ね」と、握った手を擦りながら、笑顔で母に言う。「また明日」と、穏やかに、安らかに、母が言う。
ドアを閉めようと手をかけると、母が手を振っているのが見えた。私も手を振る。「また明日ね」。
触れることがとても大事であることは、鍼の先生から教わっていたことだった。それがもたらすものを実感できた時間で、こうして思い返しながら、あれは間違いなく幸せな時間であったと言い切れる。私は、一番大きなこのチャレンジを、超えようとしている、ほぼ、超えているかもしれない。
今この時間があること、今、このやりとりや、この実感があることを、心から感謝したいと思う。