とてもいやな夢で、目が覚めた。
夏の朝の光と熱。
隣の奏くんのベッドは空っぽで、横には眠るスナフィの背中。奏くんいないんだ。サーフィンに行くって、言ってたな。
眠い。目を閉じると、いやな夢を思い出した。そうだ、セナさんが亡くなったと、Joshに告げらる夢を見たんだった。
手を伸ばして、iPhoneを取る。9時過ぎか。Facebookで瀬奈さんの動向を確認する。元気そうだ。良かった。安堵して、iPhoneを置いてまた目を閉じる。夢でよかった。
9:42
カーポートで、車に乗った奏くんが戻ってくるのを待っていた。こんな夏の日差しからの防備としては頼りない屋根と帽子。起き抜けだから、日焼け止めすら塗っていない。
「背中が痛い」「もうすぐ家に着くから、車から降ろすのをちょっと手伝って」
あの後、奏くんからかかってきた電話で、急いで外に出ていた。数分もせずに、車が入ってきた。
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家に入りその足でシャワーを浴びたものの、表情は変わらず相当に痛そうなまま。肩を後ろに引っ張られたように背中と胸を垂直にして座り、痛みに耐えている。
「背中の肉離れとか、ぎっくり背中かもしれない。」
14才で始めたサーフィン。2008年に私と出会った直後に足を複雑骨折したこともあり、以来、長いブランクがあった。最近になって、精力的にサーフィンを再開していた。まだまだ体が戻らないうちに無理をしてぎっくり背中になった、ということなのか。そうかもしれない。
背中を下に横たわる体勢に変えてみても、痛みに歪むその厳しい表情は変わらない。シャワーを浴びたばかりなのに、すでに汗もかいている。
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近隣の病院を探し始める。引っ越して来て3年。お互い健康だったので、近隣の病院をまったく知らない。「ぎっくり背中だろうから整形外科」を探す。なんの疑いもなく。
一番近い市立病院のレビューを見る。星3つに満たない。病院は口コミが大事だ。リストアップしてレビューを全部読み比較検討したいところだ。表示されたリスト内に、評価の高い整形外科がある。件数も十分だ。ここだ。車で25分。25分か。でも、これだけレビューが良ければ間違いないはずだ。
ビーズクッションに背中を預けて真っ直ぐ仰向けになっている奏くんに見せる。痛みで苦しいので任せる、と言った様子。お財布、iPhone、帽子、鍵を手に、お留守番のスナフィのために冷房がちゃんとついていることを確認して、すぐに出発した。
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国道を抜け、青々とした田んぼ道を通り、ようやくたどり着いた整形外科は、驚くほど混んでいた。待合室は人でいっぱいで、数十人といるだろうか。奏くんと隣り合って座ることすらできない。空いているところに奏くんは座る。太腿の上でギュッと握った両手から真っ直ぐに伸ばした腕で、背中を真っ直ぐに保っている様子で、痛みに耐えている。奏くんは泣き言を言わない。この朝も、その猛烈な痛みに、1人で静かにずっと耐えていた。
ずいぶんと待たされて、ようやく診察を受ける。ぎっくり背中では無さそうだ。レントゲンを撮ることになって、再び待つ。厳しい表情で真っ直ぐ座った奏くんからは離れたところに空いた席があり、そこで待つ。手の届くところに本棚がある。さくらももこさんの「もものかんづめ」だったか、「たいのおかしら」だったか、大好きだったエッセイがあったので、手にとってパラパラとみたりもした。やっとのことで、名前が呼ばれる。
結局、悪いところが見つからず、原因わからず。
薬は処方されるということで、会計を待つ。
「先に車戻ってるわ」
奏くんに車のキーを渡す。私は残って、会計と処方箋を待つ。あと3人くらいか。
「痛みが続くようであれば内科に行ってみるように」と、受付で紹介状を書いてもらう。先ほど比較検討した市立病院だった。折り畳まれるその一瞬、「大動脈」という文字が見えた。
「大動脈」?そんな言葉、診察では一言も出てきていないし、今ここでも話に上がらないのに。
聞く間もないままに紹介状には封がされ、「返しにきてくださいね」と、レントゲン写真が手渡される。急いで外に出た。次は薬だ。
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奏くんを車に残し、次は、薬局で薬を待つ。正午頃の薬局は長閑な雰囲気で、すでに5、6名の人が薬の受け取りを待っていた。
薬を受け取り、セブンイレブンに寄る。薬を飲むためには、何か胃に入れなければ。おにぎりと唐揚げを買う。奏くんはおにぎりを少しだけ食べて、すぐに薬を飲んだ。車内には手をつけない唐揚げのにおいが充満している。
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薬が効く気配がまったくない。市立病院に電話をかける。午前の診療は午後1時までとのことで、15分くらいで着ければ、ギリギリ間に合いそうだ。車を飛ばす。助手席の奏くんは、ずいぶんと汗をかいている。暑いかな、もっと冷房強めたほうが良いかな。
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受付は空いていた。初診受付を済ませると、血圧を測るように言われる。
値は、200を超えていた。測り方がおかしい?もう一度測る。再び、200を超えていた。
血圧の印字された二枚の小さな紙と書類を看護師さんに渡す。血圧の値を見て、表情が変わった。どういう症状か、奏くんに尋ねる。痛い部位と痛みの様子。そこに待っていると思われる人たちがいたような気がするけれど、すぐに診察室に入れてくれた。
気がつけば、奏くんは診察室内のあちらの方で、鎮痛剤の点滴を受けていた。私は、入り口近くの丸椅子に座り、看護師さんが電話で話すのを聞いていた。電話の相手は、近隣の循環器の専門病院。電話が終わり、「今から救急車で専門病院に移動する」と言う。同乗するか、と聞かれたけれど、車を置いていくわけにはいかない。転院先の病院名を確認し、「車で向かいます」と伝えた。
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車に乗り込む。
ひとりになった。
完全に動揺していた。完全に。
でも、急いで専門病院に向かわなければいけない。ナビをセットし、車を出す。
Lineで妹の茉奈にスピーカーで電話をする。茉奈はすぐに出てくれた。オフの日だった。なんてラッキーなんだろう。激しい動揺の中で、泣きながら、不安に潰れそうになりながら、運転をしながら、今ここで起こっていることを初めて言葉にして出した。なんて現実感がないんだろう。でも、少し落ち着いた。
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専門病院は、午後だからかガラガラだった。受付で、奏くんを乗せた救急車はすでに到着し診察に入っていることを聞く。初診受付の書類を記入する。今日3回目だ。
真っ白で真新しい誰もいない待合室でひとり待つ。呼ばれて入った診察室に、奏くんはいなかった。先生の前にひとり座る。
「急性大動脈解離」が疑われる。現在CTで確認をしている。もしそうであれば、緊急手術が必要であり、手術ができるところへ転院する必要がある。
手短に伝えられたそれだけを聞き、そして再び、誰もいない待合室で待った。
14:32
こんなに不安になるものなのか。不安で息が苦しい。
なんて自分は想像力がないんだ。あんなに辛そうだったのに。脂汗までかいていたのに。なんで最初から市立病院に行かず、あんな遠い、あんなに待たされる整形外科に行ったんだ。
後悔で胸が苦しい。
申し訳なくて、潰れそう。
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家に置いてきたスナフィ。どうしているだろう、大丈夫だろうか…
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手術の可能性…。考えてもいなかった。
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再び、診察室に呼ばれる。
「急性大動脈解離」が確定した。
心臓から出た大動脈が、腹部を通って足の方まで裂けている。重症。緊急手術が必要であり、成田の赤十字病院を検討中。手術は6−8時間かかる。
妙に静かな時間だった。
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再び、誰もいない待合室。次は手術する病院の確定を待っている。
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三度、診察室に呼ばれる。
「成田での緊急手術が決まりました。今から救急車で移動するので同乗してください。」
誰もいない待合室に戻り、茉奈にLineをして心を整えてから義父母に電話をかける。彼らの住む横浜から成田は、高速を使って2時間はかかるだろう。70を過ぎた義理の父の運転に影響しないよう、状況を極めて冷静に伝えられるよう努めた。ぐるぐると同じ場所を歩き回りながら。
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救急車に乗り込む。胸元にはレントゲンの入った封筒。
診察してくれた先生も、成田まで同乗してくださる。
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救急車で成田に向かう道中、フロントガラスから見える景色を見ていた。
たくさんの車が、道を開けてくれている。その中を、ゆっくりと、でも急いで救急車を運転してくれる救急隊員、同乗してくださる先生、そしてもうひとりの隊員のひと。このすべてのひとびとが、奏くんの命を救おうとしてくれている。奏くんがんばれ!涙が出そうになるのを上をみてやり過ごした。
1時間ほどあった車内で、鎮静剤で落ち着いた奏くんは、この時、何を思い、何を考えていたのだろう。天井を見ている記憶。そして、頭を起こして救急車の一番後ろに座る私を見上げて、「大丈夫?」と、そう言ってくれた気がする。
「大丈夫?」は、奏くんの口癖だった。100万回は聞いたんじゃないか。受け取った、と言うべきか。いつだって、私のことをまずは気にかけてくれていた。
私はこの時、奏くんを少しでも安心させたり、心強くさせたり、そんなことがどうしてできなかったのだろう。
そして、なんで、こんなにも覚えていないんだろう。
17:05
成田赤十字病院の救急窓口は混み合っていた。
救急車の到着時ですら、二台待ちだったしな。待合室で、呼ばれるのを待つ。この時間、何を待っているのだろう。
ご両親が向かっている。
2人が到着したらどうしたら良いのか、考えないと。
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18時半の手術開始が決まり、家族として、ひとりで執刀医W先生の説明を受ける。
大動脈解離の緊急手術。上行と弓部大動脈に加えて、基部の人工血管への置換を行う、とのこと。
様々な書類へのサインが続く。アレルギーや既往症などを聞かれる。正直、わからない。ゆえに、本音を言えば、判断できない。奏くんには聞けないし、ご両親だって今、成田に向かって高速を走っているところだろう。これまで特に何もなかった旨を伝え、全身麻酔への同意書にもサインする。
サインをする手が、震えている。私のサインの先に、奏くんの命がある。結婚して6年。この関係性、「家族」である事の、重さを感じている。
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鎮静剤が効いたことで通常の会話もできるようになった奏くんのベッドサイドに向かう。若い先生が、柔和な雰囲気で、おそらく和ませようとサーフィンの話を振る。奏くんは、不安そうに、少し苛ついているような雰囲気すら感じさせて、その話にはまったく気持ちが入らないようで、私を見て話しかけていた。なのに、この時何の話をしたのか、まったく思い出せない。
ただ一つ。ご両親が向かっている、そのことは伝えた。
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手術室に入る18時15分が迫ってくる。そろそろ、と、移動が始まる。ご両親が向かっていることは、伝えてあるし、仕方がない。病室を出る。私もついて歩く。
エレベーター前まで来て、エレベーターが開く。まさかのご両親が出てきた。間に合った!!なんてタイミングの良いことか。喜びも早々に、お二人も共に、手術室へと向かう。奏くんと言葉を交わしていたのを覚えている。奏くんは、不安と緊張を終始漂わせていたことも、覚えている。
ここでお別れ、というラインで私たち3人は止まる。手術室に消えていく奏くんはベッドから手を振っていた。
奏くんから見る私は、この時どんな表情をしていたのだろう。
手術が終わるのを待つ
真夜中の道は、空いていた。
お義父さんが運転する車の助手席に乗って、空いた一般道を、自宅へ向かっていた。
手術の終了予定時刻は午前2時頃。8時間の大手術。医者は、限りなく神に近い存在だと、感じ入る。
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手術中、私たち3人はプライベートに過ごせる家族室を使わせて頂き、手術の終わりをそこで待っていた。
「背中が痛い」の訴えから急いで家を出てから、すでに12時間近くが経過していた。
スナフィ。ご飯をあげなくては。
私の車は、成田と自宅の間にある家から20分ほどの専門病院に置いたまま。お義父さんが同行(というか連れていく)を申し出てくれた。病院から、奏くんから離れることを想像するだけで、不安で胸が潰れそうに嫌だった。手術中に何かあったら。しかもそこにお義父さんも巻き込んでしまうようで、たまらない。
そのあとのやり取りは思い出せないけれど、あのいつものお義母さんの大きな笑顔とポジティブなエネルギーはこんな極限の状況でも健在で、それに後押しされて、お義父さんとふたりで自宅へ行く事が決まった。
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真新しい病院の広い駐車場に、ぽつんと停まっている車に、「帰ってきた」なのか、妙な安心感を覚えたことを覚えている。救急搬送時にお借りしていたタオルを、夜間用の入口から入り事情説明にお礼を加えて返却し、次は二台で自宅へと向かう。
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カウチに座っているどこか落ち着かなそうなお義父さんの姿と(初めて来たのだ)、ご飯をがっつくスナフィの姿を、今でも覚えている。
「入院に必要な物品」を急いで集める。タオルやブラシなどは、お義母さんがすでに用意してくれていた気がする。どこまでも、素晴らしいお義母さんだ。果たして何を用意したのか、さっぱり思い出せない。とにかく最速で病院に戻りたかった。
スナフィ、ごめんね。我が家の一員になってから4年。スナフィにとって、初めての一人ぼっちの夜だ。そもそも、ひとりでいた事だって数回、長くても数時間なのに…。
胸が張り裂けそうだけれども、どうしようもなかった。